2015年01月13日 JFN 「蒲田健 ラジオ版 学問ノススメ Special Edition」 ゲスト 田中康夫

 

ラジオ版 学問ノススメ Special Edition

[蒲田健]ごきげんいかがですか、蒲田健です。この番組はラジオ版学問ノススメ、2015年1月に放送したもののSpecial Editonです。放送ではお届けしきれなかった秘蔵トークをたっぷりとお楽しみ頂きます。今回のエキスパートは作家の田中康夫さん。著書「33年後のなんとなく、クリスタル」を踏まえつつ、このニッポンが、そして「彼女達」がどう生きてきたのか、これからどこに向かうのか、についてお伺い致します。学校では教えてくれない、教わったけど忘れてしまった事を授業より楽しく学べるラジオ版課外授業プログラム 学問ノススメ。世の中をもっと楽しく生きていく為に、そしてあなたの人生を豊かにする為に、今日も一緒に知の冒険に出掛けましょう。

 

田中康夫】1956年東京都生まれ。東京オリンピック開催の1964年から1975年までを信州で過ごす。1980年「なんとなく、クリスタル」で『文藝賞』を受賞。1981年一橋大学法学部を卒業。1995年阪神・淡路大震災後、ボランティア活動に従事。2000年から2006年信州長野県知事。2007年から2012年参議院議員衆議院議員。著書多数。最新刊は河出書房新社「33年後のなんとなく、クリスタル」。

 

[蒲田]蒲田健がお送りしているラジオ版学問ノススメ。今回のエキスパートは作家の田中康夫さんです。よろしくお願い致します。

[田中]よろしくお願いします。

[蒲田]河出書房新社から「33年後のなんとなく、クリスタル」出版となっております。大ベストセラーそして社会現象も巻き起こした「なんとなく、クリスタル」の33年後を描かれているということなんですけど、33年後、なんで33年後だったんですか?今、ここ書くタイミングだな、みたいなそういう意識があったんですか?

[田中]んー、ただ、非常にこの間というのは時代が変わってるわけですね。1980年の「なんとなく、クリスタル」ってのは、実は世の中がバブルと呼ばれてたのは1990年くらいですから、その更に10年後なわけですね。そしてその頃思っていた右肩上がりの日本とは異なる社会に今なってきてるわけですから、更には例えば1980年の初頭には携帯電話はありませんし、自動社電話も恐らく一万台くらいしか無かった。でも今、人口よりも携帯電話数の方が多い。他方で、夜中に例えばLINEが届いたものを未読のまま子供が学校に行くと、クラスメートから少し冷たい視線を浴びてしまう。非常にこの間は私達の経済だけでなくて生活やあるいはITと呼ばれるものも含めて大変な変化をしてきたと思うんですね。その中で皆、当時産まれて無かった方も、あるいは産まれていた方も30数年が経過してるわけで、その日本を、これまでの日本、そして今の日本、更にはこれからの日本、というものを描くという物語を書ければな、ということです。

[蒲田]なるほど。そして33年後、2013年、2014年辺りという、大体イメージですけど、今回、33年後の方は「ヤスオ」さんも登場というか、かなり主役級の出方をしてるという感じしますけど。

[田中]前作の主人公達は、1980年の当時に大学生だったんですね。そして今、皆50代になっている。そこに登場していた主人公の「由利」をはじめとする人達は、あるいは結婚をしたり離婚をしたり再婚をしたり、あるいは婦人科系の病気を患ったり夫や子供の仕事や勉学に思い悩む。その人達と「私と思しき」カタカナの「ヤスオ」という人がトイプードルの「ロッタ」という犬を連れて散歩をしていると、その中の一人と道端で会い、そこから物語が始まるんです。

[蒲田]「ヤスオ」さん、カタカナの「ヤスオ」さんは処女作の「なんとなく、クリスタル」には一回も登場してこなかった方ですよね。

[田中]まぁ、私の作品というのは今まで全て女性の一人称の物語で、今回は初めて男性が狂言回しの様に語り手になっているんです。

[蒲田]それは今回初めてのトライ・・・

[田中]社会的な評論というのは、まさに「田中康夫」という人が正面から真っ直ぐに切って差し上げるというものだったんですけど、物語は皆、女性だったんですね。ですからその意味で言うと男性が目線での小説は初めて描いたんです。

[蒲田]これは、今までの女性の一人称では無くあえてそういうスタイルにしたっていうのはなんか意図がありました?

[田中]恐らく、もっと私よりも巧みな物語を書く方も含めて、それほど意図とかそういうものは、後から評論家や読んだ読者の方が絵解きをして下さることだろうと思いますけども。

[蒲田]それは、今回はそういうスタイルでやろうというとこから始まって・・・ということになる。今回も註釈ですね、夥しい数の註が掲載されてるわけなんですが、1980年の「なんとなく、クリスタル」の時よりも更に濃厚なイメージの註が付いている感じがします。

[田中]当時も、何故註があるのか、ということをよく聞かれたんですけども、私にとっては漱石や鴎外の文庫本を読んだ時に、昔の地名や言い回しは私達には分からない。だから文庫本に註釈が付いているわけですね。当時の物語も、その場所とかあるいはその持っている物が縁遠い方にとっては、その註釈が無ければそれは閉ざされた記号なわけですね。それで最初の作品も付けたと思います。今回は、逆に言えば当時はwikipediaのようなインターネットの検索は無かったですけども、単なる単語でしたらどなたでも比較的容易に調べることができる、でもこの物語が33年間というものを描いていますから、そこで起きてきてることを本文の中だけで無くて註釈によって、より多面的に重層的に語るという物語になってるわけです。

[蒲田]なるほどそうですか。今回、その処女作である「なんとなく、クリスタル」の方は「もとクリ」で33年後の今回の新作は「いまクリ」というような・・・

[田中]まぁ、あの、ロバート・キャンベルさんという、東京大学で日本文学も教えてらっしゃる、恐らく我々よりもとても綺麗な日本語を語る方が、これを「もとクリ」「いまクリ」と読んだら?って仰って下さって。

[蒲田]なるほど。なるほど。

[田中]はい。

[蒲田]「もとクリ」の方は、僕は一読者として読んでいたときに、モデルとなる方とかいるんだろうし固有名詞も一杯出てくるけど、基本、フィクションであろうというような認識だったんですね。で、「いまクリ」の方は「ヤスオ」さんが例えば知事としてやってきた事を含め世に知られるファクトが色々出てきてノンフィクションフレーバーもふんだんにあるな、みたいな感じに読めたんですが、非常に野暮な問いなのかもしれませんけど、フィクション・ノンフィクションのバランスっていうのはどういう感じになっているんですか?

[田中]それはフィクションでありノンフィクションですし、逆にノンフィクションでありフィクションという事だと思います。

[蒲田]それは、ブレンド比率みたいなのってのは推察してっていう感じですか。

[田中]恐らく、この物語で語ってる事は、今は何かマニュアル的に数字で評価をする判断する、そして数字に換算出来ないモノは価値ゼロだというようなものが、今の金融資本主義であったり「自由主義」経済であったりしてる。でも、もしかしたら私達は数字に換算出来ないけれども、そしてそれは脆くて儚いかもしれないけれども、確かなものを感じられるというのが家族であったり社会であったり、あるいは、今何か空威張りな日本の伝統や文化を語る人も居ますけども、そうでは無い、地に足の付いた、そうした数字に換算出来ないものが多分、私達の社会を今までも造ってきたし、あるいはこれからもそうしたものが社会を創ってく事が「しじょう」と呼ばれるような、市場経済と呼ばれる、コンピューターの上の数字で全て判断してしまう、でももしかしたらそれは打ち間違えてるかもしれないし、ウイルスが入っているかもしれない。むしろ今は少なくなったとはいえ商店街の「いちば」という、人の顔が見える、体温が感じられる、そうした社会を今の高度な消費社会に生きながらも、私達はどこかで求めてるところがあると思うんですね。その意味において、これはノンフィクションであるしフィクションであるし、またフィクションであるしノンフィクションである。だからそれはブレンドの比率という、今、ワインのようなウィスキーのようなお話がありましたけど、そうした形では中々多分、描いた当人も説明しきれないところだろうと思います。

[蒲田]もしかしたら読み手によってもそこが、そこを逆転しちゃうのかもしれないし、という事になりますね。じゃぁそれはやっぱり読み手の側が色々と想像しながらっていうことになってきそうですね。

[蒲田]今回、33年後の、キャンベルさん言うところの「いまクリ」の方では、物語の中に過去の記憶を呼び起こす「記憶の円盤」が回り始めるっていう表現がいくつか出てきてて、これなんか、ハードディスクくるくる回ってるようなイメージなんですか?

[田中]んー、描いてる時に「記憶の円盤」という言葉が頭の中に浮かび上がったんです。

[蒲田]それは御自分のなかで検索しながらっていう・・・

[田中]いや、検索という形じゃなくて、多分、もしかしたら検索も出来ない朧げものというのは沢山あるわけですよね、私達の・・・

[蒲田]検索も出来ない・・・

[田中]すなわち、私達が、セピア色かもしれないし、もしかしたらそれはとても今でも鮮明な、ショッキングな色合いかもしれないし、様々な色合いのなかで私達の記憶のなかにある出来事というのはあるわけではないですか。ですからそれは、検索というようなマニュアル的な言葉以前のところで、恐らく、考える葦と言われながら未だにあまり考えが及んでいないであろう人類のなかで回っていくものだと思うんですね。

[蒲田]それを、色んなとこを探って、これかもしれないっていうような感覚で「円盤」が回っている・・・その中で例えば「もとクリ」の方の、1980年当時真っ先に思い浮かぶ事ってのは・・・

 [田中]個人的には、私は留年をして内定していた企業に就職が出来ず、そして学校の図書館で少しお勉強もした方がいいのかなと思ったんだけども、法学部だったんですけどもどうやら「方角」を間違えて「阿呆学部」に行ったものですから、六法全書というような法律が全てであるというようなですね、ものはどうも馴染めないなぁ、じゃぁ何か描いてみようというのは、逆に言えば学園紛争の時代であったり、そうした若者を描いたものはあるのに、何故私達が現実に、それは渋谷の街だけでは無くて、同じ生活をしている若者が池袋にも、もしかしたら船橋にもあるいは札幌にも居るであろう、じゃぁそれを誰か描いて欲しいなと思ったんですけど、あまり描く方が居なくて、そうすると、僕達の今生きてるものを描けたらなと思って当時、’80年に描いたんですね。だからその意味で言うと’80年っていうのは私にとってはそういう年です。

[蒲田]なるほど。なるほど。御自分が読みたいものは存在して無かった・・・で、誰か書い・・・

[田中]いやいや、読みたいもの云々よりも、むしろ自分達の周囲に居る世代の人達を描いたものが何故か無いなと思ってわけですね。それがまさに、学園紛争の人達のお話はあるけれども、そうで無い人は居ない。音楽では井上陽水さんが例えば「傘がない」というような、勿論そこで私達は社会的なニュースも見てるし、友達の出来事や学校や職場の事も考える、でも今この瞬間、自分にとって考えなくちゃいけない、あるいは判断しなきゃいけないことは、雨が降ってんのに傘がないということだ、と。あの歌は、非常に、今も通じますけども、当時、今までに無かった時代の切り取り方だった。でもそれは小説のなかでは、もしかしたらあるかもしれないけれど、私が知るなかでは殆ど無いと思ったわけですね。

[蒲田]それが「なんとなく、クリスタル」を書くモチベーションというか動機付けになった・・・という。

[田中]まぁ、そうですね。

[蒲田]なるほど。で、今回は「33年後」の方を書くにあたって、改めて再会した人とか、会われた方ってのはいらっしゃるものなんですか?この為に。

[田中]ですから、これは物語であるけれども物語では無い、歴史でもありますし現在でもありますから、それはどうなんでしょう(笑。

[蒲田](笑。そこはそうですよね。それはどうなんでしょうという感じ。田中さんご自身は1980年、まさに80年代から今に至るこの国の変貌ってのはどう見ていらっしゃる・・・

[田中]一番最初の作品の442の註の最後には、日本の1980年段階の出生率とそれから高齢化率、そして今後の、当時厚生省と呼ばれていた省庁が出していた予測の数値が載っているんですね。何故か日本の取材に来られたメディアの方はどなたもここを質問されなかったし、どなたも何故これが載ってるのかの指摘はされなくて、むしろ欧米をはじめとする、あるいはアジアも含めたメディアの方のほうが通訳の方を通じてこうしたものが載っているということを知って何故載ってんですか?と。表面的には日本の非常に豊かな若者の物質主義的な文化を描いて、それは私達の国の若者とだいぶ違うけども、でも一方で註の一番最後に何故貴方は日本の人口が減っていく、出生率が更に低迷をしていくということを載せたんですか?ということはよく聞かれました。ただ、それから33年経つと1980年の、その註の最後に載せた数値は、僕にとって、当時24の僕にとっては衝撃的だった数値ですけども、でも今やその数値を見ると遥かに現状よりも楽観的な数値になっているんですね。ですから今回の本も後ろから、今度は横書きで註が始まっているんですが、本文の一番最後に前回の出生率・高齢化率の註、そしてその後どう10年毎に変化してたか、1990年、2000年、そしてまだ2014年の数値が出てませんから’13年、そしてこれから50年後100年後をどういう風に捉えてるかという数値が載ってんです。するとこれは日本の人口は激減をもっとしていく、後期高齢化率と呼ばれるものも減っていく、でも他方で6月に、今年、閣議決定という政府が大臣と首相が集まったところでサインをしたものでは「日本はこれからも成長していくので、50年後にも一億人は維持できる」って書いてあるんです。でも同じその政府の、厚労省の厚労白書には楽観的数値と中位数値ともっと悲観的と三つ載ってるんですけど、そのいずれも到底それには及ばないんですね。それも註には載っています。

[蒲田]んー、そうですね。本当にそれは慄然とするというか「もとクリ」の一番最後に出てきたものの数字でも相当なもんでしたけど、全然楽観的ですもんね、こっちの方が。

[田中]ただ、私はだからといって悲観をするのでは無くてね。1億人を維持しましょうってなんとなく、大本営発表のオハナシと一緒だと思うんですよ。でも、日本の人口が、どんなに子育てを支援してるフランスとて人口は減っていくと言われているわけです。日本はもっと減っていく、じゃぁそのフランスであったり、あるいは多くの方が、いつその国、滅びるか分からないのにあんなに楽天的にごはんを食べ、ワイン
を飲んで、素敵なファッションもあるかもしれないし、でも非常にスローフードもあるというイタリアも、人口5、6千万人なわけですよね。そうすると日本はどれを目指すのかということを示してこそ私は政治や経済のリーダーだと思うんですけど。で、もしかすると多くの人はなんとなく、の自分の気持ちの中でね、そういう国の形を目指す、量の拡大や量の維持では無くて質の充実というのを、逆に、言うは易く行
うは難しと思うのでは無くて現実にそうなってくならその中でどう暮らし向きのあり方が変わってくのかということを皆さん模索すると思うんですね。その人達から最も税金を貰っているような人達が、最もそこに無自覚なのかそれを言うと恥ずかしいと思ってんのか、相変わらずな空威張りを言っている、そういう日本ですよね。で、逆に言えば恐らく33年前に「なんとなく、クリスタル」の登場人物達は、地に足が付いてない、と言われたわけですよ。そう言ってた人達も居る。でも今回の物語を読んで頂くと、むしろ地に足が付いてないと言われていた人達の方が遥かに実際の生活の中で、自分が自分や自分の家族だけ幸せと言うんでは無くてどういう社会勿論それは自分のそれぞれの力には限りがあるけれどもでもこの巨大な歯車で対消費社会や資本主義社会が動いてく中で、『微力だけど無力じゃない』と自分が思えるあるいは周りの人と共有できるその感覚をどう見出そうかっていうことを考えてるというその物語でもあるんですね。そしてその一方で33年の間にはITと一言で呼ばれるものによって大変に私達の生活様式や情報伝達の形も変化してきてるわけですね。その社会的な歴史とそしてその間に私達が一年づつ歳を刻む中で考えてきてる変化を描ければなという・・・

[蒲田]なるほど。『微力だけど無力じゃない』っていうのは、ひとつホント大きなキーワードだと思うし」やっぱりでもそこはそれぞれの人達がもっとそれは自覚しておいた方が良いという感じですかね。

[田中]元々私は大きな声で正義を語るような人にはなんとなく裏表があるなぁと中学くらいの頃から思ってたそういう人間なのでね。自覚とかそういう言葉だと、なんか襟を正して考えなきゃと思ったけどきっとそうでは無い。よく最初の作品もこんな暮らし向きは自分とはまったく別だと言って目を閉じる方が居た。でもあるいは今度もお読みになってもそういう方もいるかもしれない。でもそれはたまたまその時その方が食べてるのがイタリア料理かもしれない。でもそんなものはとても贅沢だと思う人がもしかしたらとても皆の評判のあるラーメン屋さんには彼女と一緒に30分1時間並ぶかもしれない。でもそれはもしかしたらその自分の言葉や数字に表せないそれを味わいたいという感覚ですよね。それがたまたまラーメンかもしれないそれがイタリア料理かもしれない。でもラーメンのことを描いてるものは文学であってイタリア料理を描いてる方は地に足の付いていない文学では無いっていうのはねじゃぁ外国の翻訳文学は何故あなたは読むんですかってお話になるんですよ。

[蒲田]なるほど。なるほど。

 

[蒲田]蒲田健がお送りしてるラジオ版学問ノススメ。今回のエキスパートは作家の田中康夫さんです。河出書房新社から「33年後のなんとなく、クリスタル」出版となってます。今の日本もしくは世界ということでもお伺いしたいんですけど33年後の我々色んな人が直面して取り組んでる色んな問題課題があると思うんですけど田中さんが特に重視するものは何なんですか?

[田中]私はたまさか2000年から6年間普通は8年なんですけども私は公共事業をより見直してあるいは福祉や教育ということこそ逆に人が人のお世話をするんだからそれこそが新しい21世紀の雇用を生む場所だと言ったんですけどもそれは違うよっていう方々も居たんで中間テストがあって不信任という2年間があったので2期6年って変則的な知事だったんですけどあるいはその後参議院議員衆議院議員ということをしてきてますけどもそこの場所に全く違う場所から来た私が常に感じてたのはどうして形にばかりこだわるのかなぁと。あり方では無くてこの国の形、司馬遼太郎さんが仰った「この国のかたち」は恐らくそういう意味では無かったはずなのに形ばっかり言うんですね。例えば1994年に小選挙区制を導入された時に小選挙区制を入れれば政策本位の政治が実現出来るって言ってたんですよ。でも気づいてみたらちっともそうなっていない、どころか小選挙区制が良い悪いでは無くて結果として入れた形は毎回選挙の度に6割の人が新人議員になんですよ。それはフレッシュな考えの持ち主だって思うかもしれませんがもしかしたら霞ヶ関の人にとってこんなに都合の良いことは無い。右も左も分からない人に財源はこうでございますってレクチャーをすればいとも簡単に思想洗脳被曝していくわけですよ。で、非常に逆に霞ヶ関に都合の良い政治の形になってるかもしれない。あるいは合併をしないと自治体が立ち行かなくなると私が2000年に知事になった時に総務省が言い出して当時3200ほどあった自治体は今半減して1700です。でもじゃそれで税金が減ったのか行政サービスが良くなったのかといえば恐らく胸を張ってそれを言える人は居ない。他方で前回もお話をしたフランスには36000も自治体がある。イタリアもそうです。あるいは効率主義だと思われてるアメリカにすら州憲法で認められた自治体が80000もあるわけですね。そしてこの話をすると、また法律論の方はいや自治体の形が違うんだってんだけど、いや日本だって合併をしなくたってゴミの焼却とか一部事務組合という、私も知事になるまで知らなかった行政用語で、近隣の市町村が一緒に組合を作ってゴミを共同で処理する一部事務組合とかあるわけですね。フランスやイタリアあるいはアメリカにおいても、自治体の形では無くてあり方として個々の自治体は維持したまま行ってるわけです。何故日本はそういうあり方を問わないのかなというのは、その前も80年代90年代、私は色んな、週刊SPAや朝日ジャーナルやあるいはポパイのような雑誌も含めて書いてる中で、漠然と外からみて感じてたことをたまたまそのなかに入るとその形の中で、皆ホントは良い発想を持ってる役人の人まで、形がこうだからとなってっちゃう。それを変えていかないと恐らく日本は人口も減っていく中で、従来発想のまま子育て支援や高齢者支援を言ってっても難しいなっていうのは非常に感じてますね

[蒲田]形にとらわれるというか、形ありきっていう姿勢がずっときちゃってる。

[田中]まぁあの、もっと簡単に言うと全国の方がこの放送をお聞きだと思うんですけども、道州制ということを未だに言う人達がいるんですね。そして都道府県では図体がデカい、古めかしいので道州制を入れれば9から11くらいになるので日本の行政はスリム化するっつってる人が居るんです。私からするとホントに片腹痛い意見でね、何故かと言えば、47都道府県を順列組み合わせをして道州制すると言ってんです。でも私がたまさま知事を務めた長野県という信州にはJR東日本と、伊那谷・木曽谷はJR東海で、そして白馬村より上の日本海まで行くところはJR西日本なわけです。つまりそれぞれ文化圏も経済圏も歴史圏もあるいは交通権も地政圏も違う。ところが長野県をいずれのプランでも北関東州に入れると言ってんですよ。木曽谷や伊那谷の人からすれば遥かに東海州に入る方が良い。もっと言えば、道州制をホントに入れるんだったら長野県は三つに分割されるくらいの覚悟を持って行わなければ明治維新以来の47の都道府県と言うものの上に、今までの平成の合併がそうであったように、4つの町が合併したけど支所はそのままあって上にもう一個ハコモノを立派な建物20階建てを作って税金を使って役人の数は変わりませんっていうオハナシなんですね。だから事程左様に日本は形ばかり言うけれども、もしかしたら他の国が、フランスが36000自治体があっても、あるいは貧しい方も居るかもしれないけども、私達が少し憧れるような暮らし向きがあるんだとしたらそれは何故なのか、というあり方を考える議論が評論家や学者も含めてですね、経済人も含めてもう少し私はそうした認識や発想が変わっていけると、本当はこの日本が少子高齢社会になっていくのが黄昏なわけでは必ずしも無くて、その中で他の世界も皆そうなっていくわけですから、恐らく先進国は、日本がものづくり産業がそうであったようにオンリーワン・ファーストワンのものを出してきた日本のものづくりが、今、行き詰まってるというけど、社会のあり方も日本が本当は最も皆に指し示すものを出せるチャンスなのに、相変わらずの発想で50年後も1億人は維持できますっていう閣議決定をしているというね。その不思議さはありますね。またそういった事も考えて頂ける、恐らくこれは恋愛のお話でもあるし、50代の人の様々な子供や夫との関係の話でもありながらそうした私達がその悩みと思うものが希望に変わる社会はどこにあるのかという物語でもあります。ですから大変、推薦文を帯を書いて下さった方が壇蜜さんもいらっしゃったりすんですけども、福岡伸一さんとかなかにし礼さんが書いて下さって、なかにし礼さんが「これは現代の黙示録である」という、大変書き手からすると、こそばゆくて穴があったら入りたくなっちゃうような評価をして下さってるんですけど、そういう物語であります。

[蒲田]そうですね。色んな要素がそこに見付けることができるだろうし、今のお話、中にも書いてありましたけど、例えばフランスのカマンベール村ってのは数百人しか居ないような・・・

[田中]200人です。でもカマンベール・チーズって多分コンビニエンス・ストアでも多分・・・っていう。

[蒲田]はい。ですよね。だからやっぱりそこはもしかしたら形でみたいな感じになったら・・・

[田中]大きくなっちゃうとですね、自治体ってのは、由らしむべし知らしむべからずになっていくんですよ。遠い存在になっていくんです。それを今効率的になりますという言葉に皆何か惑わされている・・・

[蒲田]もっとあり方本位であろうということなるわけですね。

[田中]そうしたことを多分知事時代も、あるいは国会議員時代も予算委員会や代表質問でも述べてきたんですが、なかなかあまりそうだねって言う方も居るけど、そんなのは政治や行政では無いって言う方も居たりしたので、その意味で言うと私のこの33年間、とりわけ後半の10数年間はそうした世界に迷いこんでた私にとっての新たなマニュフェストだなと思っているんです。多分、他の方々や組織の人は数値目標書くけど、でもこれだけ時代の変化していくときに「中期五カ年計画」って5年後ホントに、その数字こそ皆がもう崩壊したと言われてる計画経済じゃないですか?っていう気が私はしますけどね。

[蒲田]なるほど。なるほど。政治の世界の人はもしかしたら、それは田中さんのご意見になかなか賛同しないような人が多いのかもしれないけども、でもやっぱり例えば「33年後のなんとなく、クリスタル」を読めば政治家じゃ無い、我々レベルは共鳴出来るとこは多いと思いますね。

[田中]ありがとうございます。ですからそれは難しいことでは無い、難しいと皆が思ってる事は分かり易く語る、でもその逆に言えば迎合的に、はいこれを作ってあげますナントカでも、急に言ってたのに公約に掲げてたのにお金が無いから出来ませんとか言っている、羊頭狗肉になってっちゃってるんだけど、でも僕はあの世界に入って不思議に思ったのは、普通良いサービスをして良い商品であって初めてお客様は喜んで下さる買って下さる、それによって利益も上がるしそれによって従業員もチップやボーナスんなるかもしれないのに、行政とか政治って皆さんから先にお金頂くんですよ。でも頂く時に何に使うかも言わないんですよ。これは福祉に使いますって言うけどお金に色は付いていませんから、そうじゃ無いとこに、どこに行ったか分からない。で、そういう不思議なね世界、そしてもっと言えば国土交通省の仕事を厚生労働省がやるはずが無いんですよ。でも普通だったら私達の流通社会には、A社とB社とC社とか、入札はちゃんとした公明正大な入札にしますって言って4つ5つが手を上げるのに、第一国土交通省、第二国土交通省は無いわけですよ。これは厚生労働省とて同じでね。だからそれでいて、いやぁこれからの時代は世界に互す競争原理を行政にも入れなきゃ政治にも入れなきゃってんだけ、ど実は全く羊頭狗肉なんですよね(笑。

[蒲田](笑。そうなんですか。やっぱりあり方本位、んーちょっとねやっぱりこれ我々レベルでそれはどうしたら良いのかなっていう事をすごく喚起させられる内容に・・・

[田中]それは、じゃぁまた遠い話だってんでは無くて、私の中では多分大学生の時からの33年間っていうのは、私にとってはボランティアも行政も政治も、そして恋愛もある意味では相手に喜んで頂いて私の喜び、でもよくボランティアでも、これをしたら相手は喜ぶに違いないって思ってると相手の望んでることも時々刻々変わるんで喜んでくれないとなんだと、俺がしてあげてるのにあいつはずのぼせてるって怒っちゃう方が居るんだけど、そうでは無いと思うんです。でも同時にそれを受ける側もしてもらって当然では無くて一緒に育っていく相手と同じ目線に立てるように私も努力しようというのがね相互扶助でそれが、ですからその意味で言うと、私にとっては恋愛もボランティアも行政や政治も一緒で・・・

[蒲田]いかに喜んで頂けるんだろうということ・・・

[田中]そして私が行った小学校30人学級を、全国で最初に6年生までやりましょうっつって実現をしても喜んで下さる県民も居れば、そんな事よりも、お前違う事に使わせろって人も居るから、それはまぁそういうもんですね。

[蒲田]なるほど。なるほど。それは良かれと思っても、色々と取り方受け取り方あるけれどもって話ですね。すごく今腑に落ちたというか、33年間の田中さんがやってきた・・・とにかくどう喜んで貰えるんだろうっていうことが・・・

 

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[田中]33って、なんとなく数字としてね、書店の手書きのPOPなんかを書店の方が「33年前、あなたは何をしてましたか」って書いて下さってるとみんな感じると思うんです。あの時5歳だった、いやまだ産まれていない、当時20歳だった、そしてこの社会の変化の中で自分の歩みを記憶の円盤をそれぞれの方がお持ちのはずで、その円盤も色んなものがつまってて、忘れていた事が円盤の中から出てくるかもしれないし、あの時とても良かったと思う事が意外と今の円盤で見てみたらさほどでも無かったり、あるいは当時違うと思ってたのがとても嬉しい事だったりとか。

[蒲田]そうですね。それぞれの方にとっての呼び水になるかもしれないですね。

[田中]だからそれをよく、多くのジャーナリズムの方は、33って語呂合わせをしたんだろとかなんとかって言うけど、それは人間も100パーセントの中の1パーセントくらいは思ったかもしれないけど、でもその前にどんな、だって番組だって小説だってこうした事を書きたいだけじゃなくて、伝えたいあるいはこれで何か気づいて欲しい、そこから始まるわけですからね。でもそれを伝えたい伝わるようにしたい時にはじゃぁ33年 前というのが頭に付くのは響きが良いかなとかそういうことなんで、そこから発想して始めたんですねってのはまぁねぇ。

[蒲田]ちょっと順番違う・・・

[田中]・・・かなって気はします。

[蒲田]わかりました。ありがとうございます。

[蒲田]今後の田中さんはどういう方向に行くんですかね。

[田中]私はあまり今まで計画性が意外と無いんです。

[蒲田]計画性は無い・・・

[田中]というか最初から、だってどんなにマーケティングをしてプロジェクトを組んでその方のキャンペーンをしたとしても、それが100パーセントの思い通りに動くなんて無いんですよ。もしかしたらこの社会で王様が居たとしても王様の思う通りに100パーセント進むわけもありませんから、その意味で言えば田中康夫という存在をこういう風に活用してあげようかな、だけじゃなくてこういう風に扱使ってみようかなとか、こういう事彼は気付いてないけど彼がこういう事書いたりこういう事やったらもっと人も喜んだりおもしろがったりするんじゃないのってことを、直接仰ってくださるんじゃ無くてもなんとなくの、まさにそういう空気の中できっとこれからも生きていくんじゃないですか。

[蒲田]なるほど。なるほど。でもなんかずっとそれこそ通底してる部分、さっきのパートでもありましたけど人に喜んで頂いてとういうような部分があって、だからある意味物凄く真っ正直に自分の色んな欲、良い意味でも悪い意味でもあるのかもしれないですけどすごく真っ直ぐドストレートに来てるイメージはあるんですけども。

[田中]まぁその意味では不器用なんでしょうね。計算が出来ない、でも計算していてストレスが溜まるよりは決して何も考えずに流れに任せているのでは無くて、きっと自分を見つめながらあまり取り繕らわずに生きていくのが一番自分にとっても楽だなと思いますね。

[蒲田]なるほど。なるほど。やっぱりそれは田中康夫という人の生き方はそういうものになってくる・・・

[田中]大学生であった人間が、街を歩くと全員から顔が分かる全国指名手配みたいに20代半ばでなってしまったわけですから、それはもう・・・でもその事は留年をした時も、例えば親とかは就職が・・・って。でも僕からすれば、どんなに楽しい時も悲しい時も一分一秒同じように過ぎていくわけですよ。それは時間が過ぎ方が変わることはない。とするならば、どんな事が起きていたとしても目を背けるので無く、睨み付けるのでも無く、それをありのままに見ることがもしかしたら、それは次の自分の肥料になるかもしれないしあるいは肥料にならないかもしれないけど、でもそれは多分この社会の中で自分がそういう局面、あるいは自分がそういうところに直面するというのもきっと与えられた事なのだろうと、それは24で思った、まあ前から感じてたけど、より一層思ったのかもしれませんね。

[蒲田]なるほど。なるほど。そうですか。そういう意味では今回の作品の中で繰り返し出てきたフレーズ、これもうホント名フレーズだなと僕は思いましたけど「出来るときに、出来ることを、出来る人が、出来る限り・・・」

[田中]「出来るところで、出来る限り」って。はい。

[蒲田]これは田中康夫の生き方に・・・

[田中]だって私達多分200歳まで生きられる人は居ないわけですよ。

[蒲田]居ないでしょうね。

[田中]特効薬が出来て200歳までみんな生きるようになったら、もしかしたら逆にそれがハッピーなのか、むしろそれは恐ろしい事かもしれない。私達は皆この大きな地球の中で生まれて暮らして居なくなってくけど、でもその間の中で何が出来るか。極論するとね、僕、ボランティアを阪神・淡路大震災の時に行ってる時も、なんなんだと。そんないつも着てるような服の、高級なジャンパーを着てって言った人が被災地に行かない人に限って言うわけですよ。でも、着たきりスズメで地味目な格好をしてシュラフに包まってるのがボランティアのイメージがあるかもしれないけど、そんな事言ったら避難所の避難民の人のスペースを多分0.8人分くらい奪ってるわけですよね。

[蒲田]なるほど。

[田中]すなわち、喰うや喰わずで隣人愛は説けない、どんなお坊さんや神父さんも、それは腹十二分目では無いけれども、腹六分目であったりするときに隣人愛が説ける。でも他方で、今の社会は腹十二分目十四分目になってもまだまだというようなね金融資本主義の社会でもあるわけですよ。その中で皆満員電車に揺られてるだけでは無くて、色んな事を考えているとするならば私はやはりこの限りある生きてる中で「出来るときに、出来ることを、出来る人が、出来る限り」行う。だからボランティアもその場で汗を流す人も居ればこうした事をした方がもっと良いという知恵を出す人も居るし、あるいはそこに行きたいけど自分の子育てや仕事があるから物理的に行けない人はお金 を出すかもしれないし、それに優劣の差は無いというのが元々の私の発想なんですね。ですから、それがまさにルイ・ヴィトン、当時、’80年にヴィトンのバックをお金を貯めて買って嬉しいと思っている女の子と、岩波新書を一冊読んで自分は更なる教養人だと思ってる人とそれは同じ人間が行う行為で、でもそこで得る事は明らかに中身は違うかもしれない。でも当時青山通りを頭の空っぽなマネキン人形がブランド物一杯下げて歩いているようなものだ、と仰った文芸評論家とかは、それは違う話であると。前者は物語の世界に成り得ないって言ってたわけですよ。でも僕はそうなのかな?と。物質的ブランドを腐すその人も、もしかしたらどこかの新聞の書評委員をやっているから新宿の文壇バーに行った時に多少お店の人にチヤホヤされるかもしれない。それは物質的ブランドをあなたは否定しながらあなたの精神的ブランドでしょ?て。つまりこれだけ高度な消費社会の中で、誰もが自分ひとりで、私はこういう人ですと説明出来ない、誰もが自分の肩書きであったり持ち物であったり暮らし向きであったり、そうした自分に浮遊している様々な記号によってしか自分を表現出来ないし、あるいはそれが最も他の人も客観的に見るときに手っ取り早い方法である。でもそれは、もしかするととても寂しい事かもしれない。だから私達は、数値に換算出来ない社会貢献であったり、あるいは恋愛をするという事だと思うんですねっていうのを多分、昔も感じてた。今も多少こんなやっちゃ場のような行政や政治の世界で表と裏と言ってる事が違う人を一杯見てきたので多少こういう言い回しをするようになりましたけどね。

[蒲田](笑。

[田中]うーん。

[蒲田]今回、「33年後のなんとなく、クリスタル」ですがこれは44年後とか55年後もあり得る話なんですか?

[田中]それは全く分からないことです。でも、まさに一分一秒日々同じ時間が過ぎそこで私達が目を閉じずに生きていくということがきっと次の私達をよりハッピーに出来ることだと思いますね。

[蒲田]はい。最後になりますが番組恒例の質問なんですけど、これまでで一番思い出に残る先生というのはどんな方ですか?

[田中]大学の時に、私は法学部だったんですけども、商学部というのもあってそこにカタカナでマーケティングというのを教えてる田内幸一さんという教授が居たんですね。で、マーケティングというと、こういう風にプランを立ててこういう風にすると必ず売れるはずだとか評価されるはずだとか、そしてそれは数値で効果測定出来るというのが多分マーケティング的な発想なんですよね。でもこの方はむしろそうでは無いんだと。これはこの間お亡くなりになった宇沢弘文さんっていう経済学者も同様な事を仰ってるけども、商業でも経済であってもそこに人の心がある、まさに僕が門前の小僧で言ってるように数値に換算出来ないようなところにこそマーケティングの面白さがあるし、それを数値で換算出来ると思い込んでやってる人は必ずしっぺ返しを喰らうという、だから非常に他のマーケティングの学校の先生とは違う形でしてね、非常に流通論の権威というか著名な方ではあったんですけど非常に僕からすると、しなやかな発想の方だなと硬直してないなと。で、この方は商学部だったんですけどこの人のゼミには押しかけてずっと留年してからも出させて頂いてて。もうお亡くなりになったんですけど、その方の、まぁ一人選ぶのはなかなか難しいですけど今日のお話の中でこの方を。その後、私は、今はもう無い朝日ジャーナルというので「ファディッシュ考現学」という連載をするんですね。これがやった時に、それまでポパイやアンアンで書いていた時には同じ社会分析をしていたのに「へ?」って言ってたような編集者がパーティとかで、いや君にはホントはああいう朝日ジャーナルの「ファディッシュ考現学」みたいなものを書いて欲しいと前々から思ってたんだよって。何言ってたんだよって話だったんですけど(笑。この「ファディッシュ」っていう単語はこの田内さんが「fad - fashion - style」という私達の社会があるんだってことを仰ってます。「fad」ってのは泡の様なものですね。取るに足らず消えていくようなもの。でも、次が「fashion」なんです。早い話が、当時たけのこ族が出る前、懐かしいですけど、竹下通りでイヤリングを片っ方だけ付けるというのがブチックのハウスマヌカンの間で流行ったとしたら、そのブチックだけ始めたらこれはまだ「fad」かもしれない。でもこれをどっかの雑誌が取り上げるだけじゃなくて他の販売の人達も、それアリねって始めたらこれは「fashion」になってくわけですよ。そしてこれがもっと全国的という事だけじゃなくて多くの人がする様になれば「fashion」の次は「style」になってくわけですよ。そしてそれが長く続いていくと「fad - fashion - style - trad」になっていくわけですよね。

[蒲田]伝統になって・・・

[田中]まさに「fad」は、彼がその時仰って下さったのは「fad」は別に原宿から生まれるだけじゃ無くて歌舞伎町かもしれないし、あるいは浅草かもしれないしそれは浅草の人はあたしと違う世界って思ってるかもしれないけれど、浅草には浅草の生まれてくる「fad」はある。

[蒲田]えぇ、そうですね。

[田中]だからそれをいち早く、私達は目利きじゃ無くて鼻利きとして、目だと見える数字なんですよ、距離の限りがあるんですよ。でも鼻利きというのはもしかしたら最も人間の五感を駆使してるかもしれない。

[蒲田]んー。

[田中]鼻利きであるということ。

[蒲田]鼻利き。

[田中]この、田内幸一教授からはある意味ではこうしたことを学んだかなと。

[蒲田]いかにそれを感じる・・・

[田中]まぁ田内さんが言った話をだいぶ私の言葉で今言ってますからね田内さん、お墓の中から、俺はそういう言い方をしてなかったって仰るかもしれないけど、私にとっては自分のゼミでも無かったのにずっと3年間出席をした、ちょっと端っこに居たゼミのひとりとしては懐かしい思い出です。

[蒲田]そうですか、はい。わかりました。ありがとうございます。ラジオ版学問ノススメ、本日は作家 田中康夫さんにお話をお伺いしました。先生どうもありがとうございました。

 

[蒲田]ラジオ版学問ノススメ Special Editon、作家の田中康夫さんをお迎えしてお送りしました。田中康夫さん、今回は「なんとなく、クリスタル」から33年後の「33年後のなんとなく、クリスタル」。あのー合わせて読むとですね、非常に良いと思います。だいぶ僕は「もとクリ」の印象が変わりましたね、これで。ここまでのね長い射程を持った壮大な物語でもあったかと気付きましたし、あと「もとクリ」、最初
の方ですね、「なんとなく、クリスタル」の、今、新装版の解説を高橋源一郎さんがされているんですけどそこを読むと更にそうだったかという事も分かるし、色んな事が今になって見えてくるっていうことは非常に多くあります。是非合わせて読まれることを強く推奨致します。


ラジオ版 学問ノススメ|蒲田健|JFN Online

 

最新経営学基礎講座 7 マーケティング

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33年後のなんとなく、クリスタル
 

 

33年後のなんとなく、クリスタル

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ファディッシュ考現学〈’90〉

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