2015年12月10日 TOKYOMX「モーニングクロス 田中康夫 三笠宮さまのお言葉」

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「100歳を迎えた、三笠宮の発言」浅田彰氏との「憂国呆談」@「ソトコト」2016年2月号

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[田中康夫]12月2日に三笠宮が100歳の誕生日を迎えた。重さ1kgのダンベルを使って毎日30分の運動をしているのにも驚嘆したけど、廃刊になった雑誌『This is 読売』で1992年に「南京大虐殺」について、「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません」と「闇に葬られた皇室の軍部批判」と題するインタヴューで述べている。もう少し引用すると、「私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした」。「南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」。「しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。北京駐屯の岡村寧次大将(陸士十六期・東京出身)などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました」と。
[浅田彰]つまり、四悪が実際に行われてたってことだね。南京大虐殺の犠牲者が30万人ってのが中国の誇張だとして、じゃあ3万人なら、あるいは3千人ならいいのか。三笠宮の言う通り、人数で争うなんて愚劣の極み。
[田中]30万人という数字は、国民党軍に守られていた長春中共軍側が包囲して餓死させたのを始めとする犠牲者数と平仄を合わせたという説もあるけど、三笠宮が言うように、捕虜を殺すのは国際法違反なんだから。遠藤誉の『毛沢東-日本軍と共謀した男-』(新潮新書)は、国民党軍と戦えと巧妙に日本軍に持ちかける一方、自軍の兵力を温存した毛沢東を膨大な資料に基づき活写している。その策略に騙されて南下し、兵站が伸びて日本軍は疲弊していく。敵ながらあっぱれ、と毛沢東の戦略を彼女は「評価」している。「内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」と三笠宮が述懐する日本側との彼我の違いは大きい。
[浅田]確かに、日本軍に勝って中国を解放したのは自分たちだっていう中国共産党の主張は嘘っぱちだけどね。三笠宮は、十年くらい前のNHKのインタヴューでも、陸軍将校として行った中国で、戦争が始まってずいぶん経つのにまだキリスト教の宣教師がいたこと、そして人民解放軍が「長征」と称して逃げ回りながらも岩山の上で畑を耕してたことが印象に残ったって言ってた。それで、イエス・キリストマルクスを理解したいと思った。それにはユダヤの理解が必要で、そのためには古代中東に遡らなきゃいけない、と。すごいでしょ。実際、彼はトルコの遺跡発掘をはじめ中東考古学に大きく貢献したんだから大したものだよ。
[田中]「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を私は経験してきた」と1959年に出版した『日本のあけぼの-建国と紀元をめぐって-』でも述べている。

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[田中康夫]今日はですね、12月2日の日に100歳をお迎えになられた三笠宮崇仁(たかひと)親王。この方は戦争中にですね、南京にも1年軍人として(行かれていた)。元々、御家のマークが若杉なので、印が。若杉さんという名前であったと。これが三笠宮が以前からお話になってる内容です。

[脊山麻理子]三笠宮さまが今月2日、100歳を迎えました。宮内庁によりますと記録上、皇族で100歳は初めてという事です。
[堀潤]三笠宮さまは大正天皇の四男で、昭和天皇の弟にあたる方です。お顔はそっくりですよね。
[田中]でも毎日、1キロのダンベルを30分やられている。週に1回は東宮御所から外出もされているという。なんか、我々の方が体力も気力も無いよね、本当に。実は12月3日の『週刊新潮』にも特集がされていたんですが、先ほどお見せしたのは1994年に『THIS IS 読売』という、当時、読売新聞が出していた雑誌があって、そこで読売の調査研究本部の部員がですね、三笠宮さまに対してインタヴューをしたと。その内容なんです。

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〈最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません〉と。これは何を言ったかというと、当時、読売の調査研究本部の方がですね、「最近また、南京虐殺について閣僚の発言が問題になりましたが、同じような問題が何回も繰り返し問題になるのは誠に困ったことだと思います」と読売の方が言って、「三笠宮殿下はこの問題についてどのように受け止められていますか」というのに対してのお言葉であったと。とても大事な事はね、人数の多寡とか、あるいは戦争には必ず殺すという行為はあるんだ、それはそうでしょう。だから戦争は好ましくはないんで、それは自衛という事とは違う話なんだけど、人数の多寡じゃないんだよっていう事を仰ってる訳です。
[堀]ちょうど21年前ですか。
[田中]ただ、これはもう、ずっと戦争中からこういう風にお考えになっていたと。
[堀]お話されていた。お考えになられていたと。
[田中]で、どういう事かと言うと、実はご自身で『古代オリエント史と私』(学生社1984年)という本を御出しになってるんですが、その中でですね〈ある青年将校-私の陸士時代の同級生だった〉と。戦後、東大で勉強されますけれど、元々陸軍士官学校に行かれていたと。〈-から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました〉と。いわゆる〈「聖戦」のかげに、じつはこんなことがあったのでした〉と。

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[田中]これは何を言っているかと言うとですね、これは『週刊新潮』に載ったんですが、こういう風にも仰ってるんですね。元々、「四悪」と、こういうような事はいかんという事で、〈軍司令官はただちに「四悪」を禁止するという厳重な命令をくだした。四悪というのは略奪、暴行、放火、強姦のことである。〉と。これは『帝王と墓と民衆 - オリエントのあけぼの(付・わが思い出の記)』(カッパブックス:光文社、1956年)という、1956年にご自身が御出しになった本でも述べている訳です。そうすると〈ある第一線の大隊長のいうことがふるっていた。今までは敵のいた家は焼きはらって進んだので、自分の大隊の第一線がどの辺を前進しているかすぐ分かっ た。ところがこんど放火を禁ぜられてみると、第一線がどこにいるかさっぱり分からない、と。まったく笑えないナンセンスであった〉って述べている。

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[田中]だから〈一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえ にもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉と。〈内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉って述べているのね。これはやっぱり、三笠宮さまはこういうご発言もされていて、これもご自身で御出しになった 編『日本のあけぼの - 建国と紀元をめぐって』(光文社、1959年)という1959年の本なんです。
[堀]まだ戦後から15年あまりの時なんですね。
[田中]やはりこの発言、つまり、誰が言ったからではなくてね、「規律の乱れはどこにもあったんで、略奪はどこにもあったんだよ」とか、だから大虐殺という言葉に過剰に反応してるかもしれないけど、それは人数の多寡じゃなくてやっぱり私達のありようなんだっていう事を仰っている。それが今年100歳を迎えられた三笠宮さまのご発言でね、やっぱりここに書かれている事というのは、これは洋の東西を問わずとても大切な事で、ですから以前にもお見せしたかもしれないけれどエドワード・サイードという人が言ったのはただ有りの儘、まさに形式知で、数字とか規模とか見るだけじゃなくてそれが如何にしてそうなったのかと。

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[田中]それが実際に軍人として若杉さんっていう名前で参加された三笠宮氏が古代オリエントを学ぶだけでなくて、成ってった・・・。やはり私は、ここはね、どなたが仰ったかとかじゃなくて、あるいは、これを言うとですね、前々から「なんでこういう皇室の言葉ばっかり引用するんだ」って言う人がいます。
[堀]政治利用じゃないか、みたいな事をね。

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[田中]でも、そうじゃなくて、私達は生きてるという事が、すべて、経済だし文化だし政治でもある訳であってね。やはり私はこの発言をされている方というのは、やはり改めて有りの儘を見るだけでなく、それが如何にして成ったかを考えるという点においてですね、大変な方だなと。
[堀]桜林さんどう思われましたか。
[桜林美佐]これは日本がずっとこれに向き合っていかないといけない問題だと思いますけれども、今の価値観で色々見がちなとこがあるんですけれども、なかなか当時の空気感とかそういうものまでは分からないところもあるので、そこは注意して判断しなきゃいけないなと思いますね。

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[田中]山本七平さんが仰った「空気の研究」というね、空気で動いてっちゃうと。それは、とても感情は大事な事なんだけれど、やっぱりその時にどういう理性を持ったりするのかという事を、実際に陸軍で、しかも南京に1年駐屯されたという方の言葉を、100歳を迎えられた、この少子高齢の中で、改めて私は・・・。
[堀]僕も太平洋戦争を経験されている方々の日常の様子を聞き取るっていうのをしてるんですけども。

[堀]やはり最終的に、当時、一般大衆社会としても「やはり余計な事を言うと、場合によっては引っ張られるし、そもそもそんな事を別に会社でも家でも話す話題じゃなかったでしょ」って。「政府もそんなに悪い事するとは思ってないし」って、「そういう空気感の中でどんどんどんどん物事が進んで行った」と。でも結局、三笠宮さまの言葉を見て思いますけど、何も言わないって事が一番怖いのかもしれないですね。
[田中]そうですね。
[堀]是非皆さん、色々自分の考えを発言していく事を続けたい世の中を作っていきたいですね。ありがとうございました。

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「註の新たな註」

「いまクリ」と「もとクリ」
その記憶の円盤が舞い続ける時空。
ようこそ現在から1980年の東京、
そして日本へ❣

「✽文庫本化に際しての、
ひとつの新たな長い註。」

でお約束した「註の新たな註」は、
両書に登場する
「字句の解釈」に留まらず、
高度消費社会の幕開けから
現在に至る時代背景を、
関連する僕の拙稿等も紹介しながら
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