2016年11月19日 BS日テレ「おぎやはぎの愛車遍歴」 ゲスト 田中康夫

[小木博明]やたらに昔、レストランのことやたらに言ってた気がする。
[矢作兼]まあそうだね。
[小木]そういうイメージがすごくあるの。なんかちょっと洒落た感じの。
[矢作]車もめちゃくちゃモテる車乗ってそうだよね。
[小木]そう。モテるって感じの。
[矢作]モテるっていうかモテたい感じだよね(笑)。
[小木]モテるじゃないか。モテたいのか(笑)。
[矢作]本日のゲストは作家の田中康夫さんです。よろしくお願い致します。
[田中康夫]はい。よろしくお願い致します。
[矢作]やっぱり僕らからするとね「東京でこれが今イケてるよ」ってのを全部やってるイメージですね。
[小木]そうですね。
[矢作]それを作ったぐらいの人ですかね、やっぱり。
[田中]いえいえいえ。でも、車も、私、走り屋でしたので。
[小木]走り屋(笑)。
[矢作]え?そうなんですか?走り屋?(笑)。
[田中]えぇ。成田送り迎えで月に3,500kmみたいな(笑)。
[小木]はっはっは(笑)。
[矢作]そうなんだ(笑)。
[田中]ある意味じゃアッシーの先駆けみたいな感じですよね。
[矢作]なるほどね。
[小木]「メッシー」「アッシー」みたいな。
[矢作]「メッシー」「アッシー」の。
[小木]元祖の人ですか?その。
[田中](笑)。
[矢作]でも、元祖って言われたらそんな感じがするわ。
[小木]元祖っぽい感じがするわ、確かに(笑)。
[ナレーター]本日のゲストは作家であり元長野県知事田中康夫さん60歳。1980年、小説『なんとなく、クリスタル』でデビューすると数々の雑誌連載ほか、ファッション誌の表紙を飾るなど、時代を象徴するイケイケ作家に。そんなイケイケ時代に愛したイタリア車に再会。大興奮。
[田中]いや~懐かしいね。これは最高!
[ナレーター]しかし、その車人生は波乱万丈で・・・。
[田中]全損事故を私は3回やってまして・・・。
[小木]は?
[矢作]うそだ・・・。
[ナレーター]九死に一生を何度も体験。そして2000年、長野県知事になると、「ガラス張りの知事室」や「『脱ダム』宣言」などが話題に。そんな康夫が車社会に物申す!
[田中]免許って乗ってない人がゴールド免許だったりするじゃない!乗ってない人こそ半年一年で講習すべきなのに。
[ナレーター]そんな田中康夫さんの愛車遍歴と人生を振り返ります。

[矢作]免許を取ったのは何歳ですか?
[田中]実は意外と遅くてですね、大学の最後の時で。最初、杉並の日通自動車学校に。登録してお金も払ったんだけど、駅から遠いんで行かなくて(笑)。
[竹岡圭]はっはっは(笑)。
[矢作]駅から遠いから行かない?!(笑)。
[田中]当時、西荻西荻窪)に1人好きな娘がいたんですけどだんだん疎遠になってたんで、なんか降りるのもなぁみたいな(笑)。結局、宇都宮の合宿で。
[小木]それも女性目当てですか?合宿ってことは(笑)。
[矢作]当時、合宿って言ったら「あり」ましたよ(笑)。
[田中]男ばっかりでしたけど(笑)。1人ね、地元で来てる娘でホントに綺麗な娘がいて「声掛けたいなあ」って思ったんですよ。そしたらある日、シャコタンの男が迎えに来てましてね(笑)。
[一同]あ~(笑)。
[田中]マイルド・ヤンキーどころかヘヴィ・ヤンキーで(笑)。「声掛けなくて良かったな」っていう(笑)。
[矢作]なんで18歳ですぐ取ろうと思わなかったんですか。
[田中]最初はね、車の力を借りてモテようとかってのは邪道だって思ってたの。
[矢作]ええ?!
[田中]お酒の力を借りる、車の力じゃなくて、やっぱり歩いてや電車であったとしても会話とか場所とかそれで相手にっていう・・・。当初はそう思ったの。
[矢作]その時代に?!
[田中]単に、車がほら、買える訳じゃなかったから・・・みたいな。
[矢作]だってデートできないんだから車がなかったら。
[小木]そう。勝負できないの。
[矢作]さっきちょっとキレイごと言ってましたけど(笑)。
[田中]いや、だから最初は無いから車が無くても自分の実力でって思って。
[小木]確かにダメな人ほどそういうことにこだわるんですよね。
[田中]車を持ったらやっぱり・・・。
[矢作]でしょ。強がりでそういう風に言ってただけでしょ。
[田中]まあまあ、そうなの(笑)。そこまで責めないでくださいよ。
[一同]はっはっは(笑)。
[田中]「愛車遍歴」ですので(笑)。「モテない遍歴」やってもしょうがないんで(笑)。
[矢作]車大好きになっていくわけですもんね。
[田中]はい。
[小木]そっからですもんね。
[矢作]さあ、そんなね田中さんがどんな車に乗ってきたのか楽しみなんですが、早速思い出のキーワードを見てみましょう。
[竹岡]こちらをご覧ください。三角の中は年齢なんですけど。
[矢作]早いね。8歳?
[竹岡]そうなんですよ。
[矢作]「段ボールで冬山対策」。
[竹岡]気になりますよね。
[小木]8歳、早めに終わらせといた方が・・・。
[竹岡]はっはっは(笑)。

[矢作]それでは小学生の頃、「段ボールで冬山対策」をした車に登場してもらいましょう。どうぞ。
[小木]来ました来ました。可愛い車。
[矢作]へー?!なんだこれ、分かんないなあ。あ、ブルーバードなんだ。
[田中]ブルーバード。
[小木]可愛い。
[ナレーター]田中さんが子供の頃にお父さんが乗っていた思い出の車、ダットサン初代ブルーバード。1959年、「幸せを呼ぶ青い鳥」というコピーと共に国産小型車初の5人乗りセダンとして発売。当時の価格で70万円ほどであった。独特なテール・ランプの形から柿の種と呼ばれて親しまれ、発売から4年で21万台が生産された。
[矢作]いやぁ、かっこいい。
[竹岡]かっこいいんですよ。
[小木]すべて最高だよ。
[田中]父親がたぶん、中古で買ったんだと思いますけどね。
[小木・矢作]へー!
[小木]お父さんは何をやられてたんですか?
[田中]父親はね、信州大学で心理学の教授だったんですよ。
[小木]心理学の教授?!
[矢作]教授。でもこれ、教授が乗ってんのはかっこいいね。
[小木]かっこいい。
[矢作]なんかね、良いよ。さあ、そしてこのブルーバード。「段ボールで冬山対策」ということですけども、それ、どういうことでしょうか。
[田中]これね、不凍液ってのを、信州寒いから入れてて。
[矢作]ラジエーターの水ね。
[田中]父親がここにですね、これ開くのかな。ここにね不凍液入れてるけど朝エンジンが掛かり易いようにと、凍らないようにと段ボールの紙を確か入れてたんですよ。内側に。
[矢作]この中に?
[田中]ここの間にですね。
[矢作]この中が、ちょっと暖かくなるってことですか?
[田中]そうそうそう。
[矢作]段ボールいれておくと?
[竹岡]要はあれでしょ、ラジエーターがオーバークール(エンジンの過冷却)にならないようにしたんだと思います。
[田中]そうそう。そうなの。
[矢作]あー!
[竹岡]風をふさいでた。
[田中]動かさないで停めておく時とかね。で、入れてて、冬に家族で菅平のスキー場にスキーに行こうと。で、スキーに行ったら父親が段々坂道で「温度計が大変だ、真っ
赤になっちゃう」みたいな。「どうした」って言って、でこれを取ったっていう(笑)。
[小木]それ(段ボール)をはめたまま行っちゃった訳ですね。
[田中]だから用意周到だったのが、やっぱりさすがにそんな坂道続く山道までには想定してなかったみたい。
[矢作]そうか。
[田中]一応、助手席に座らせて貰うとうれしいな、みたいなね。
[矢作]特等席。
[田中]元々、小っちゃい頃も僕、車が好きだったんで、バスが好きで。だから三輪車の前にバスの行き先表示板、だから東京都八重洲八重洲口とか、吉祥寺何口とか、そういう紙を画用紙で母親に書いて貰って、箱を付けて三輪車の前に付けたの。で、前だけじゃなくて後ろにも付けて貰って、三輪車で。近所の子もそれやりたいって近所のお母さんから、「あんまりそういうのをやられると、ウチ、困るんで」って苦情が来たっていう(笑)。
[矢作]結構、凝り性なんだな(笑)。一歩間違ったらヤバい子っちゃヤバい子だけどね(笑)。じゃあちょっとこのブルーバード、運転してみましょうか。当時は運転してないですもんね。
[田中]してません(笑)。8歳で出来ません(笑)。
[矢作]当時を思い出してっていうか・・・(笑)。
[田中]すごいね。このハンドルといい。
[矢作]じゃあ、当時のお父さんのつもりで。
[竹岡]そうですね。
[田中]さすがにこれは・・・。
[竹岡]サイドブレーキ、右側にあります。
[田中]サイドブレーキ、右・・・。
[矢作]シートベルト、無いね。
[田中]シートベルトは当時無いですもんね。で、これで手前ですね。
[竹岡]はい。手前の下が位置です。
[田中]はい。
[矢作]かわいい、この時計も。
[田中]時計付いてたんだね、当時から。
[小木]かわいい時計。
[矢作]これ、かっこいいね。
[田中]カーラジオ。
[矢作]ダットサンって書いてある。
[田中]すごいすごい。
[矢作]ナショナルとかじゃないんだね。
[竹岡]ねえ。
[矢作]どうですか運転してみて。
[田中]当時、横に乗ってて。父親も私と割合同じような、スピーディーな運転だったんで。
[矢作]スピーディーですか。
[田中]母親とか慎重派なんで、後ろで「もっとゆっくり行って」みたいな。小っちゃい頃は作文に「将来、何になりたい」みたいなのにパイロットって書いてました。
[小木]パイロット?
[田中]高嶺の花のスッチーを。
[小木]スッチーか。
[矢作]え?そんな子供の頃から・・・(笑)。
[田中]いやいや・・・(笑)。スッチーって言葉は私が作ったんですよ(笑)。
[矢作]ウソ?!
[田中]そうなんですよ。だから今はほら、CAとかキャビン・アテンダントとか・・・。
[矢作]「スッチー」作ったの?!
[田中]ええ。スチュワーデスを「スッチー」ってつけたのは私(笑)。
[矢作]スゲー!?
[田中]なんか「言い易いんじゃないかなー」と。
[小木]当たり前の言葉になったもんね。
[田中]『ポパイ』とかでも『アンアン」とかで「スッチー」って書いてたの。
[矢作]「メッシー」「アッシー」よりも先だよね。
[田中]早い。
[矢作]今はもう「スッチー」じゃなくてCAって言わなきゃならないんだけどさ、確かに昔は美人だったよな。
[田中](笑)。
[竹岡]なんですかそれ(笑)。
[田中]今も。今も(笑)。
[矢作]いやいやいや、昔のレベルは高かった。
[小木]昔はもっとレベルが高かったですよ(笑)。
[矢作]それこそ、田中さんがその「スッチー」と遊んでた頃の「スッチー」はレベルが高かったんだって、ホントに(笑)。
[小木]基準もあったらしいじゃない。
[竹岡]身長とかの基準はありますよね。
[田中]身長160cmくらいはないとダメだったですよね。ウチは家内も一応「スッチー」だったということで。
[矢作]そうなんですか。ちゃんとモノにしたんですね(笑)。
[田中]14年くらい付き合って結婚して。
[矢作]そんなに?!
[田中]まあ、初期の頃は色々と他にも。元祖スッチー評論家と言われておりましたからね(笑)。
[矢作]そうなんだ。
[矢作]車に乗って頂ましたがここで田中康夫さんのお仕事遍歴を見ていきたいと思います。
[竹岡]1980年に、一橋大学に在学中の24歳の時に『なんとなく、クリスタル』・・・。
[小木]大学生なんだよね。

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[竹岡]はい。
[ナレーター]1980年に執筆した小説『なんとなく、クリスタル』はデビュー作でありながら100万部を超える大ヒット。ページごとに註釈を大量に入れる独特なスタイルが話題となった。
[矢作]註釈がすごい一杯入ってる。
[竹岡]そうです。
[矢作]こっち側がね、全部注釈になってるのね。あれ凄かったですね。ブームでしたもんね。
[田中]でまあ、留年したのでちょっと暇になってじゃあ書こう・・・。
[矢作]そのノリで?!
[田中]ええ。
[矢作]そんなノリで?!
[田中]それまではやっぱり、当時車も無いのに車無しで実力でデートって思ってたんで、そっちが忙しかったです。
[小木]デートで忙しくて留年したってことですか?
[田中]色々あって・・・(笑)。
[矢作]だけど留年中にさ、仕方なく書いてあんな売れるって天才じゃないですか。
[小木]天才。
[田中]そんなことありませんよ。当時は註が多いからって言われたんだけど、例えばみんなが持ってるモノとか地名とか文章の中で説明書いたらまだるっこいじゃないですか。 って思ってたらほら、漱石とか鴎外の文庫本って昔の言い回しとか昔の地名って註で出てるから「あっ、これだ」と。
[矢作]で、大げさにやったんだ。
[竹岡]『なんとなく、クリスタル』の著者近影ってあるじゃないですか、それを入手しました。こちらでございます。まだ大学生ですよ。

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[田中]1981年(1月20日に出版された単行本の扉写真)ですねこれね。
[矢作]全身のスーツで。
[小木]こっから上でいいよね。
[田中]いやいや(笑)編集部がこういうのを・・・。カメラマンの人が「これです」って言って。まだほら、ウブだから「あ、そうでござるか」って。
[矢作]あと、結構カッコいいんすね。
[小木]そう、カッコいい。思ったよりカッコいい(笑)。
[田中]完了形のように言わないで(笑)。
[矢作]カッコいいんだね。
[竹岡]カッコいいですよ。
[小木]でも『文藝賞』とかそういうのを受賞すると、どんどん忙しくなってくるんですか?やっぱり。
[田中]「笑っていいとも!」にださせて頂いて。1982年10月のスタートから、『五つのフォーカス』っていって、その週月曜から金曜まであった事をタモリさんと山本コータローさんと、あーでもないこーでもないと。

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[矢作]なんか覚えてるなあ。
[小木]なんか。うん。テレビの方にもどんどん進出してきたんだよね。
[竹岡]そうですね。
[ナレーター]続いて、そんな「笑っていいとも!」出演時に購入した車が登場。タモリさんも怒った生意気な装備とは?!そしてこの車、超マニアックな理由で購入していた。
[田中]なにしろ買う決め手だったハザードランプが・・・。
[ナレーター]ハザードランプが決めてとは一体!?
[矢作]続いては「タモリも怒った生意気装備」の車に登場してもらいましょう。

[矢作]懐かしい。
[小木]このアウディ好きなんだよね。
[矢作]俺も好きなんだよね、このアウディ
[ナレーター]1982年9月に登場した三代目アウディ100。空力的に計算しつくされ凹凸を極力なくしたスタイリングが特徴。リアウインドーとサイドウインドーにはボディとの段差がほとんどない。軽量ボディによってスピードと燃費両方の向上を果たした。
[矢作]これは初の愛車なんですか?!
[田中]最初はねアウディの80を買ったんですね。
[矢作]80だったんだ。
[小木]流行ってた80も。
[田中]なんでアウディにしたかって言うと、ハザードランプがね、ここなんですよ。
[小木・矢作]ハザード?!
[田中]ハザードが。でね、今はね比較的ここにあったりするでしょ。でも昔は例えばここにあったりしたの。
[矢作]ああ、多かった。この、ハンドルのここね。
[小木]国産車とかね。
[田中]ハザードを使うって、前が渋滞してる、あるいは自分がエンジン停まっちゃった、前に事故がある、何千分の一秒の速さで後続車に伝えなきゃいけないじゃないですか。ところがここだったら動転してて手も伸びない・・・。
[矢作]やりづらい。
[田中]ここにハザードランプがウィンカーと同じようにあるの。
[矢作]ここにあるの?!
[田中]すごい僕は「理に適ってるな」って思ったわけ。
[矢作]え、知らなかった。
[田中]「これだ」と思って。
[小木・矢作]へー!?でも理由は分かりますよ。
[田中]で、これで「笑っていいとも!」のアルタにも自分で行ってたわけですよ。で、楽屋で横澤(彪)さんとかタモリさんと始まる前に色々皆さんと話してるじゃないですか。「康夫ちゃん、何乗ってるの?」って。「アウディなんだけど」「で、どうよ?」って言うから「いやぁ、でもねぇ、自動車電話をつけると便利ですよ」ってタモリさんに言ったの。そしたらタモリさんも横澤さんも「なに!?田中君それちょっと生意気だよ」って(笑)。
[一同](笑)。
[ナレーター]1979年の末に本格的にサービスが開始された自動車電話。当時、ごく一部の人しか持てない高級品であった。
[矢作]だって20代でしょ?歳。
[小木]考えられないよ
[矢作]そらぁ生意気だわ。
[田中]確かに生意気。だって保証金ってのを取られたんだよ最初。
[矢作]それいくらくらいで?
[田中]自動車電話付けるの確か20万とか。それでね基本料が月額2万(正確には3万円)かなんかで。であと通話料が6秒で10円。
[小木]3分10円の時代に6秒で10円。
[田中]でも便利だったですよやっぱり。迎えに行った時、雨の時とかも「もうあと5分ちょっと遅れるけど」とかって言うと。でもこれね失敗があったんです。今ほら、090とか080だけど、昔は030の後に東京都内を走ってる時は31だったんです。で、神奈川県内、多摩川越えて走り出すと030の後が32だったんです。その後固定番号だったの。それでちょっと横浜の方の「ちゃんと付き合ってるんじゃない人」を迎えに行って神奈川の方でデートをしていて、で送って、で多摩川を渡った所で本命から夜電話が掛かってきて、つまり030の31なんとかで掛けるじゃないですか。そうすると「ただ今このお車は31以外の地域におります」みたいなトーキーが流れるわけですよ。
[小木]ああ、そんな事言っちゃうんですね。
[田中]だから「31じゃないって事は東京に居ないじゃん」って「何言ってるの。今日あなた原稿締め切りあるから家で原稿書いてるから今日のデート無理って言ってた相手がどういうことよ」って。で、夜の夜中に多摩川渡ったら掛かってきて「ほらやっと掛かるってどういう事」みたいな(笑)。そういう時代。
[小木]そんな面倒臭い事って・・・(笑)。
[矢作]これはならではのエピソードだね(笑)。
[小木]怖いねそれは。
[矢作]そんな知らなかった。
[田中]知らなかった?
[矢作]そういうシステムだったんだ(笑)。

[田中]シートベルトを。私は結構初期からシートベルトよくしてましたよ。では行って参ります。
[矢作]どうですか、久々の運転。思い出します?感覚。
[田中]思い出しますよ。なにしろ買う決め手だったハザードランプが。
[矢作]そこにあるんだ。
[田中]ここなの。だから大事でしょ。万が一、カーブの先が渋滞が起きてた時にバンっってすぐハザードを入れられるじゃないですか。ここ(ハンドルの奥)だったりしたら手を伸びるかって。
[矢作]これやってぐるっと手が廻っちゃうときがある。
[田中]買ったのは左ハンドルで買いましたね。カッコつけて。でも鎌倉とか京都住んでる人は、狭い道ですれ違いの時に左ハンドルだと自分がぎりぎりまで寄れると。あとは向
こうが判断して・・・。
[矢作]そうそう意外とね、運転し易い説もあるんだよね。
[田中]だけど当時は鎌倉までなんてまだ、朝比奈の出口が出来たか出来ないかくらいだから。
[矢作]そうなんだ。
[田中]そうでないと下通ってくと、とりわけ朝迎えに行くなんていうと鎌倉で。
[小木]朝も迎えに行くんですか。
[田中]学校まで送るなんて大変ですよ。
[矢作]元祖アッシーだから(笑)。
[田中]大変ですよもう。
[小木]家に迎えに行って学校に送るんだ(笑)。
[竹岡]すごい(笑)。
[田中]あとやっぱり当時、私は抜け道とか近道が好きだったんですよ。だから、必ず酔ってタクシー乗った時も当時は昔のタクシーの運転手さんなんかナビなんか無いから、プロじゃないですか。「あっ、この道通るんだ」って思うとどんなに酔ってても、帰って家で昭文社の地図開けてラインマーカーで線を引いて・・・。
[矢作]ははは(笑)。
[田中]「この道だ」って。次回はこれやろうと。
[矢作]道に詳しいのもカッコいい条件だったですよ。
[田中]そうなの。
[矢作]モテる条件。
[田中]それだけでポイントだからね。
[矢作]そう。カッコいいのよ。
[田中]それもありましたよ。
[矢作]「あれ、渋滞してるわ。じゃあちょっとこっちから行こう」っていうのがカッコいいのよ。
[竹岡]門限ギリギリで送ってもらうとかね。
[矢作]ああ・・・(笑)。
[田中]だって当時はだってほら、みんな相手は自動車電話どころか携帯電話も無い時代でしょ。で、電話番号を聞いても親が出るわけじゃない。
[矢作]そうだ。
[田中]それをどうクリアーするかみたいなね。
[小木]それね、大変でしたよね。
[田中]ありましたですよ。
[矢作]余所行きの言葉遣い出来るようになるんだよね。ちゃんとした。相手の親に嫌われちゃうとだめだからちゃんとした・・・。
[竹岡]「夜分遅く申し訳ございません」みたいな(笑)。
[小木]そうよ。
[矢作]上手いこと出来るような男になるのよ。
[竹岡]なるほど(笑)。

[竹岡]アウディ100がね登場しましたけど、こちらに30歳までの愛車遍歴をまとめてみました。こちらでございます。
[矢作]毎年買い替えてますね。
[小木]ホントだ。毎年だ。
[竹岡]そうなんです。
[矢作]なんでこれ、毎年買い替えるんですか。
[田中]えぇ・・・全損事故を私は3回やってまして。
[矢作]は?!ウソだ?!
[田中]このアウディ100の最初出たばっかりで買うと。これがですね、軽井沢の家から夜中にほら、まだ高速が無いんで藤岡まで地べた走って藤岡から高速乗って、練馬の三軒寺の、高速が終わる関越の交差点で暴風雨みたいに雨で。で、赤信号でブレーキ踏んだら、そのままシューって行って気が付いたら信号機に激突していた・・・。で、気付いたら救急車。しかもご多分に漏れず(助手席には女の子がいて)。でも彼女は怪我がなかったんです、シートベルトをしていて。私は左足を10針くらい縫って。右もブレーキを踏んで(制動が)スタックして、骨にひびが入って。これが一回目。
[ナレーター]続いて29歳の時、アウディ200でも全損事故。更にその翌年、30歳の時にも九死に一生の体験をしていた。
[田中]で、この200の2番目はクワトロ(4WDのマニュアル車)なんですよ。2週間の命だったんです。
[矢作]また事故?!
[田中]またですね、朝、羽田に送って行って(笑)。
[矢作]大体、誰か送って・・・(笑)。すごいなこのアッシーぶりが半端じゃない(笑)。
[小木]すごいね。かっこいいねここまでくると。
[田中]送ってって、首都高一号線(上りを)走ってて、普通、勝島で降りて白金(台)の辺りに昔住んでんだけど「まあいいやこのままずっと(環状線を)ぐるっと廻って2号線(下りの)目黒で降りよう」と思って、前に割り込みがあったんですね。で、2トン車の人が2台で、割り込みの乗用車はそのまま行っちゃって、ぶつかってそこに私が行って、でそれで終わるかと思ったら後ろが満タンの石油のタンクローリーだったの。
[矢作]あぶね。
[田中]それでね、ドアが出ようと思っても挟まってるわけですよ。それでイグニッションが回ったから窓から出れたんだけど、トランクは全くペッチャンコ。
[矢作]すごいね・・・。
[田中]だからそれから僕は(緊急脱出用の)ハンマー、だってもし、イグニッション回んなかったら僕、出れないわけでしょ。もし仮に火が付いてたら・・・。だからハンマーを助手席側と必ず横にも、だれか乗ってるんで横にもくっつけて、必ず窓を割れるハンマーを。売ってるじゃないですか。だからあれは義務付けなきゃいけないと思うね。
[小木]ハンマーね。
[矢作]確かに。
[小木]あれ確かにね。
[矢作]言われたらそうだ。
[小木]いざという時、確かにあれがあると。
[矢作]あれ、そうなんだ。あれ、水中に落ちた時用って思ってんじゃない。
[小木]そうそう。違う。
[田中]川とか落ちた時とかもだけど。
[小木]水中にね。
[竹岡]尖ったものだとパーンと割れるので。あとはシートベルト切るナイフとかもですね。
[田中]だからシートベルトもね、寝て倒してる方いるじゃないですか。あれはやっぱり、もし事故した時に自損でも、この(首筋の)所に当たって首の骨が折れたら、まずいわけですよ。あとはもっとこうやって(背もたれから体勢をずらして)寝てる方いるじゃないですか。骨は、もちろん事故があっちゃいけない、ここのひざのお皿が割れたらどんなに手術しても難しいじゃないですか。だからやっぱりね、座席はちゃんとこういう形でシートベルトを・・・。
[矢作]すげぇ事故った人は違うわ(笑)。
[小木]やっぱり違うね。
[田中]シートを倒す時は安全な暗い場所の時倒していいけど・・・何いってんだ(笑)。運転中は倒しちゃいけません。
[矢作]何を言ってるんですか(笑)。
[田中]説得力あるでしょ。
[小木]説得力ある。
[田中]3回全損ですから。
[矢作]事故ってるから説得力がある。
[ナレーター]実は田中さん、この他にも車社会に物申したい事があるという。「エンジンは免許証読み取り式にせよ!」そして「運転しない=ゴールド免許 を改善せよ!」
とは?!

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[田中]今ね、ETCカードとか入れてるじゃない。だったら乗る人の免許証を挿さないと運転出来ない、そしたら無免許なら運転出来ないだけでなくて、クレジットカードも一
杯お買いものしたら普通のカードからゴールドカード、プラチナカード、ダイアモンド。免許って乗ってない人がゴールド免許だったりするじゃない。乗ってない人こそ半年1年講習すべきなのに、例えばタクシーの運転手さんなんか1日350キロ乗るわけじゃないですか。いや、もちろん違反はいけないけれども、やっぱり乗った距離と軽微な違反を相対化すると。

[小木]確かにそうですね。
[田中]ICカードにすれば良いのに、なんでなのって。
[矢作]それは本当にその通りだと。
[田中]思いません?おかしいでしょ。
[矢作]確かに。
[田中]たくさん乗って安全な運転だったらゴールドどころかダイアモンドカードをあげるべきで、運転してない人がなんでゴールドよ。

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[小木]運転してない人が講習するべきだよ。
[田中]というのはね、知事時代に県警本部長って東京から来るじゃないですか。5人か6人いたんだけど運転免許持ってる人、1人もいませんでしたよ。
[一同]えー!?
[田中]だから普通ほら、警察入る人、車も好きかなと思うじゃないですか。
[小木]そうですね。
[矢作]警察が?!
[田中]やっぱり歩行者の目線、自転車の目線、2輪の目線、車の目線、あるいは大型車の目線て持って欲しいよね。
[小木]確かにそれはそうですね。
[田中]そういう意味で言うと、僕はやっぱり運転した距離と時間と違反を相関関係をちゃんと作る為にもICカードにすべきじゃないかと。
[矢作]それはそうだね。
[小木]うん。
[田中]思いません?
[矢作]思う思う。
[田中]特に車好きな方は是非そう思う方は手紙やメールください(笑)。免許だって、ここもカットかもしれないけど、AT免許の方が安く取れるっておかしくない?ATは楽しようと思ってるんでしょ。本来シフトのギアの運転・・楽しようという人は普通、値段が高いんだよ。
[小木]実際、車自体もATの方が高いんだから、逆。
[田中]全部発想がね違うんじゃないかなって。
[矢作]そうね。
[ナレーター]続いて事故続きの田中さんが乗ったマニュアル車が登場。
[田中]来ました来ました来ました!
[小木]おー出た。
[矢作]そうですか。ルノー・アルピーヌ乗ってたんだ。
[ナレーター]ルノー・アルピーヌV6ターボ。ポルシェ911のライバルとしてリアエンジン&リアドライブを採用した。最高時速公称250km/h。100km/hまでの加速が7.0秒と当時としてはトップクラスのスピードを誇っていた。
[矢作]これもまた珍しい車が来たね。
[小木]これ乗ってたんだ。
[田中]これに替えたの。やっぱりマニュアルでないと車と対話できないんじゃないのかなって。
[矢作]なるほど。
[田中]車はやっぱり人間との対話だって。
[小木]決してモテたいわけじゃなくてですよね。
[田中]いえいえいえ・・・(笑)。
[矢作]マニュアルがモテるって事もないでしょ。
[小木]当時はなんかあったでしょ。マニュアルとか。
[矢作]あぁそう?
[小木]「男はマニュアル」みたいなのあった。
[竹岡]「男はマニュアル」とか言われましたよね。あったあった。
[小木]言ってたよ。
[田中]で、これほら、鉄板じゃないんです。
[竹岡]樹脂ですよね。
[小木]これはなんですか、樹脂なの?
[矢作]あれかFRP(強化プラスチック)。
[田中]ええ。そうすると例えばここだけ替えられるんでね、全損はもうこれからしないけど、ちょっとこすった時とかにそれも良いかなみたいな。
[矢作]意外と希少車だよね。
[小木]すごい。
[田中]ちょうどこの頃は『ターザン』で減量をしたんですよ私が。3ヶ月で12.5キロぐらいの減量した直後。スタイリッシュになったから車もこういうのでいこうと。
[矢作]体も細くなったしね。確かにこれ、太ってると乗れなさそうだもん狭くて。
[竹岡]まあ車高が低いですし。
[田中]ドイツ車じゃなくてフランスで。
[小木]フランスに行ったんですね。
[田中]ラテン系でモテようみたいな(笑)。
[竹岡]結局モテように結びつくんですね(笑)。
[小木]モテるよ。こういうのに乗ってたら。
[矢作]この車の情報ありますか。
[竹岡]ルノー・アルピーヌのA310ってあるじゃないですか。あれよりも全幅が100mm以上大きくなって、後ろの席が広くなったと言われているんですね。
[矢作]後ろの席が広くなったの。
[竹岡]「とは言え」ですけど。
[矢作]そうだよね。
[田中]だから彼女だけじゃなくて、彼女の友達2人と4人でごはんの時にも。
[竹岡]そうですね。デザインはエクステリアはウーリエ。インテリアはマルチェロ・カンディーニがデザインをしていて、1990年に商品デザイン部門でグッドデザイン賞を受賞してるんですよ。
[矢作]顔は好き嫌い分かれるよね。
[竹岡]ああ、そうですよね。
[矢作]これやっぱり好きな人と嫌いな人がいるよ。
[田中]あ、そう?
[矢作]はい。
[田中]いわゆる日本のナンバー・プレート付けるのが、フロントラインこうなってるから結構難しかった。

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[小木]あぁそうか。
[矢作]じゃあそっちにナンバープレートが付いてたっぽい。
[竹岡]そうですね。
[田中]本当だ。
[矢作]じゃあ乗ってみますか。
[小木]でも後ろ、乗っちゃえば大丈夫だな。
[矢作]ポルシェよりかは広いね全然。
[小木]ポルシェより広い。
[矢作]ね。
[竹岡]意外と大丈夫ですね。
[小木]女の子だったら全然大丈夫だな。
[竹岡]全然大丈夫。
[矢作]このギア、ちっちゃいね。
[小木]ちっちゃい。楽しそうちっちゃくて。いいな。
[田中]楽しいでしょ。
[小木]良い位置にある。
[矢作]V6ターボ。これおもしろそうだな。
[田中]良いですね。
[矢作]思い出します?やっぱり。
[小木]色んな女の子思い出すんでしょ。
[田中]違うって(笑)。ギアシフトだと手触りの感覚が・・・。
[矢作]これね。
[田中]全部レザーですからね。フランスっぽいですよね、ちょっとこうした近未来的な雰囲気というか。
[矢作]デザインがやっぱり独特ですよね。フランス車は。
[田中]私、『NAVI』っていう自動車雑誌が昔ありましたけど、あそこでずっと連載を色々していて、で、モーター・ショーの時は晴海の最後、それから幕張に移ってから2回、計3回ですねいわゆるコンパニオンを私とカメラマンが一緒に特集で撮って「きっとこの子はこんな子だ」とか「こんな人と付き合ってんじゃないの」とかそういう寸評を載せてて。
[矢作]へー!?当るもんなんですね。
[田中]結構そしたらその中で、昔付き合ってたって男の人から、当時メールじゃなくて手紙が来て「なんで君、会った事ないのに分かるんだ」っていう手紙があったりなんかしましたけど(笑)。
[矢作]これでコンパニオンなんかも送ってったりもしたんですか?幕張までとか。
[田中]迎えに行ったりとか(笑)。
[矢作]幕張のコンパニオンを小木と一緒に送りに行った事もあるな。
[小木]なんか俺らも結局送ったね。
[田中]ほら(笑)。
[矢作]朝まで遊んでたんだよね。
[小木]朝まで。
[田中]だんだんと出てきましたね。私を触媒にして(笑)。
[矢作]はっはっは(笑)。
[小木]そうなんだよね。
[矢作]そう。
[小木]次の日、朝から仕事なんだけど、俺らが送ってくから遊んでようみたいな。
[矢作]そうそうそう。朝までね。
[小木]そしたら「良いよ」って。
[田中]なんか今日、車の話で来たんですよね今日(笑)。
[矢作]良いんですよ(笑)。
[田中]すいません(笑)。

[矢作]そして今はどんな車に乗ってるんですか?
[田中]今はね、ウチも結婚してロッタっていうトイ・プードルの娘がいるんで、トヨタアルファードに。荷物も積んだり、犬も一緒に後部座席で寛げるっていうんで乗っておりますけども。
[小木]自ら運転も?
[田中]はい。
[矢作]そうですか。じゃあそれじゃ行きますかね。最後ね。
[竹岡]ラストの登場ですけれども。
[矢作]「私が愛したバカンス女」。32歳。
[田中]ここでルノーのアルピーヌに1年乗って、で、「やっぱりフランスよりイタリアだな」っていう気もしたんだけど・・・。
[小木]なるほど。

[小木]いい音来たよ。
[矢作]ああ、懐かしい。
[小木]懐かしいね。ランチア・テーマ。
[矢作]ランチア・テーマ。
[田中]8.32。
[ナレーター]ランチア・テーマ8.32。ランチア、サーブ、フィアット、アルファ・ロメオの4社によって共同開発された1台。スタイリングを手掛けたのはジウジアーロのイタル・デザインである。
[竹岡]所有者の小室さんに乗ってきて頂きました。東京からお越し頂きました。
[小木]珍しいねこれまだ乗ってるってのは。
[矢作]ブレンボのポロシャツを着て(笑)。ランチア・テーマ珍しいね。
[小木]そう。
[矢作]俺も何度か買おうと思ったことありますよ。
[小木]俺も何度もある。
[田中]ホント?!
[矢作]はい、あります。
[田中]良い車ですよ、これは。
[矢作]ただ、壊れるって聞いてね。
[小木]そうそう。
[田中]苦労してます?
[小室さん]苦労してます(笑)。
[田中]花粉症が終わる時期から敬老の日までの間はイタ車なんでバカンス期間なんです。その間の3分の1くらいは、やっぱり日本と違ってお休みを取らして・・・みたいな車ですから。
[矢作]お休みに入ってるんですね(笑)。
[田中]3分の1はバカンス期間入ってる。
[矢作]休暇しなきゃいけないですね(笑)。
[田中]でもそこがかわいいんだよね。困らせてくれる女っていう。
[小木]そう。
[矢作]じゃあお借りします。これは好きな車。
[田中]あ、ホント?
[小木]好きなんですよ。
[矢作]かっこいい、ちょっと見よう見よう。
[田中]分かって下さってありがとう。これ良いでしょ。
[小木]これが8.・・・。
[田中]8.32。8気筒32バルブ。
[小木]フェラーリのですよね。
[田中]エンジンがフェラーリなの。ボンネット開けてみましょうか。
[小木]ホントだ。by Ferrari
[矢作]エンブレムが入ってるね。

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[小木]by Ferrariだよ。乗せてきた女性陣にも見せるわけですか?
[田中]いえいえ(笑)
[竹岡]それを見せられても全然響かないですよ(笑)。女子的には。
[矢作]でもフェラーリなんだ、みたいな喜びは無い?
[小木]絶対あるでしょ。
[矢作]でも内装はカッコいいからね。
[竹岡]内装はそうですよね。インテリアがね本革とウッドですごく高級なのでやっぱり乗せて貰うと女の子的にも嬉しいのかなと思いますけどね。

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[矢作]何色乗られてたんですか?
[田中]この色ですね、3台。
[矢作]3台乗ったって凄いですね。
[竹岡]そうなんですよ。見て下さいこれ。32歳36歳38歳。
[小木]そんなに。
[田中]でね、一台目はね、高速のちょうど合流分流みたいな所を走っているじゃない。急にファンって切れちゃって、で、しょうがない、路肩寄せてって。そしたらタイミングベルトが切れてて。半年に一回全部点検してんだけど切れて・・・。で、それで200万くらい掛かって直ってきて乗ったら2日目に今度はシリンダーがボンって上に上がっちゃったっていう。で、1台目はさようなら。
[矢作]で、これで3台の中で、大丈夫だったよみたいなのはあるんですか。やっぱり全部平等に壊れました?
[田中]大体みんな、突如エンジンの赤いランプが点いたら止まっちゃったりとか。
[矢作]やっぱりそうだ。
[小木]やっぱりそうなんだ・・・94年になっても。
[矢作]3台でそうなんだから全体的にそうなんだね。
[竹岡]全体的にそうでしょ。
[矢作]当たり外れの問題じゃないね。じゃあ、こちらの車の最高のアングルを教えて欲しいですね。Ya'ssy’s Eyeを教えてください。

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[田中]今これ、リア・スポイラーが出ちゃってるんだけど、これは本来、スポイラーはですね・・・。
[矢作]あ、そこ、隠れるの?!
[竹岡]これ、スピードが出ると上がる。
[矢作]へぇ。
[小木]すっげぇ。
[田中]こういう風に普通は走ってるわけですよ。
[矢作]そうか。
[田中]で、なんか追い越し車線じゃなくて真ん中の車線を話しながら走ってると後ろから煽ってくるような人がいたりするじゃないですか。そうすると「あら困った人だね」って言ってこれが・・・。
[小木]出すんだ(笑)。
[田中]走りながら(ハンドル右側のステアリングコラムをひねると、トランクリッドから)これ(スポイラー)がボーンと出て(笑)。そうすると向こうが度肝抜かれてる間に合法的スピードで去ってしまう(笑)。
[竹岡]なるほど。
[小木]じゃあちょっと乗ってみます?
[竹岡]乗ってみますか。
[田中]この辺の赤いランプが、一杯あるんですよ。この辺がチカチカしたりすると、高速走行してても路肩に寄せてかないといけないみたいな。
[小木]いい音。
[矢作]いいね。うわっ速い。いきなり最初のパワーがすごい。
[小木]いい音いい音。
[矢作]やっぱり速い。えぇ、すげー(笑)。
[田中]いやぁ懐かしいね。
[小木]すごいすごい。
[田中]これは最高。
[小木]こんな速いんだ。
[田中]そうなのよ(笑)。だからセダンでこれってのがね。
[矢作]そうそうそうそう。
[田中]ホントにね。
[矢作]それがカッコいいよね。
[田中]いい車ですよこれは。
[矢作]速い。
[田中]良いでしょ。
[矢作]面白いんだけど・・・。
[田中]うん?
[矢作]面白いんだけど・・・。
[竹岡]壊れますからね(笑)。
[矢作]そうなんだよ(笑)。
[田中]でもほら、一生懸命、愛を注いでもむこうも向いてくれてんだけど、次の展開が分からないみたいな(笑)。やっぱりこれは究極の恋愛ですね、ランチア・テーマ8.32は。(撮影車を)抜いちゃっても良いのかな。
[矢作]ははは(笑)。もう田中さん、火ついちゃってるね。面白くて(笑)。やっぱり3台乗り継いでるだけあるね。好きなんだね、ホントに。
[田中]いえいえ(笑)。
[矢作]楽しそうだな。
[小木]ずいぶん楽しそうですね。
[田中]いやぁもう(笑)。
[矢作]今日、一番運転楽しそうですよ。
[田中]いやぁもう、ありがたいですよ、昔の恋人に再会したって感じで(笑)。
[矢作]そうそうそう。確かにそうだ。

[矢作]さあ今日は過去の愛車、振り返ってきましたが如何でしたか。
[田中]いやもうホントにありがとうございます。ダットサン・ブルーバードからアウディ、そしてルノー・アルピーヌ、ランチア・テーマ8.32。いやもう、良いね。車はやっぱり。
[矢作]運転は最後のランチア・テーマが一番楽しそうでしたよね。
[田中]最初は抑えてたんですけどね。これはやっぱり・・(笑)。
[矢作]出ちゃいましたね。ついにね(笑)。
[田中]昔の走り屋が出ちゃいましたね、ついに(笑)。
[矢作]走り屋が出ちゃったんだ(笑)。最後に田中康夫さんにとって車とは。
[田中]車とはですね、人間性の回復だと思います。
[矢作]人間性の回復。
[田中]つまり自分が好きな時に、好きな場所へ、好きな速度で、そして自分で道を選んで、あるいはCDも無い頃、ベスト・カセットをAORとかで作って。そして大好きな人と会話をする・・・。やっぱり車には数字に換算できない喜びとか悲しみとか、あるいは儚さ、そして確かさがある。その事を私達がね、人間として感じられる。やっぱり車は良いもんだと思います。
[矢作]車はいくらこうやって薦めても、乗らないと分からないですもんね、自分で。
[田中]是非、若い人にもその喜びを知って欲しいと思いますね。
[矢作]あと、さっき言った車のやつ、色々変えてって下さいよ。
[田中]ホントですよ。
[矢作]法律。
[田中]それは歩行者の為にもなる。人間の為にもなるもんね。是非そうします。
[矢作]ありがとうございました。
[田中]ありがとうございました。

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「註の新たな註」
「いまクリ」と「もとクリ」、その記憶の円盤が舞い続ける時空。

ようこそ現在から1980年の東京、そして日本へ❣
「✽文庫本化に際しての、ひとつの新たな長い註。」でお約束した「註の新たな註」は、
両書に登場する「字句の解釈」に留まらず、
高度消費社会の幕開けから現在に至る時代背景を、
関連する僕の拙稿等も紹介しながら絵解きしていくサイトです。

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