◎前篇はこちら
昭和という時代を生きた若き日のあの感動はいつまでも私達の宝物。今もなお第一線で活躍するゲストと共に人生の分岐点となった思い出の場所を歩けばまばゆいばかりの昭和の光があります。さぁ今週も出掛けましょう。
[薬丸裕英]今回のお客様、田中康夫さんです。よろしくお願いします。
[田中康夫]こちらこそよろしくお願いします。ここは、私が高校を出て、1年浪人をしてるのでその時にここで毎朝降りて、予備校まで通っていたという懐かしい場所ですね。変わりませんね。
[薬丸]田中さんが歩んだ道をお聞かせ頂きたいと思います。
[田中]はい。こちらこそよろしくお願いします。
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本日のゲストは作家の田中康夫さん。昭和31年生まれの現在58歳。生まれは東京都ですが、父親の仕事の都合で8歳から18歳までの多感な時期を長野県で過ごしました。高校3年の時に東大を受験するも不合格。名門予備校に通う為、再び東京に暮らすことに。翌年、無事大学生になると華やかな東京での生活を人一倍謳歌するのです。そして、大学在学中に処女作『なんとなく、クリスタル』を執筆。自身の経験が元に描かれた女子大生の生活は多くの反響を呼びました。今回は、『なんとなく、クリスタル』で描かれたキラキラと光る昭和時代を振り返ります。
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[田中]当時、総武線の下総中山という駅に寮がありましてね、予備校の。私より少し前には中村雅俊さんもそこに入っていたっていう。
[薬丸]あ、そうなんですか。
[田中]一回、どっか番組でここの予備校の寮から出た優秀な人は中村さん、遊び人だったのは田中さんて・・・って紹介された記憶がありますけどね(笑)。
[薬丸]はっはっは。
[田中]懐かしいですね、ホントに。いやいやいや・・・。
[薬丸]入り口はこちら。
[田中]変わらないですね。
[野村佑香]変わらないですか。
[田中]あぁこの、この、この感じも。ここがちゃんと受付の、職員の人達が居る・・・、変わらないですね。
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予備校に通いながら久しぶりに暮らす東京。勉強以上に夢中になったものが。
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[田中]あぁ・・・、昔はね、壁が無くてこの2倍の広さの部屋で、もっと長机だったんですよ。
[薬丸]じゃぁ、当時のテーブルとはちょっと違う・・・んですね。
[田中]うん、僕の横はね、確かね、岐阜高校出身の女の子とそれから反対側が多分、鹿児島のラサール出身だった・・・。
[薬丸]すごく記憶力いいですね。
[田中]前の方はね…だって同じ教室ですから。で、女の子も多いですよね。で、意外とちょっと魅力的な人もいたりなんかして・・・。
[野村]だから覚えてらっしゃるんですか?(笑)。
[田中]いやいやいや。
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父親は大学教授。自身も長野県の名門高校で優秀な成績を収めていた田中さん。現役時代、東大を目指しましたが・・・。
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[田中]現役の時は見栄張って東大を受けたんですけどね。で、受かるだろうって言われたんですけどちゃんと見事に一次試験で落ちてですね、一次試験てほら、全部、文章じゃないじゃないですか。ああいうの苦手なんですよ、マークシート的な。センター入試みたいなの。今のセンター入試だったら、絶対あたしどこも入んないですね。
[薬丸]えぇ、何故苦手なんですか?
[田中]いやだから、ああいう一つの答えに当て嵌めるとか、8つの中から選びなさいとか、ああいうのは駄目なんですよ。4つの中の一つになんて言い切れるの人間は?っていう人なんで。
[薬丸]え?それ、まさかテストん時に先生に言った訳じゃないですよね?
[田中]言わない(笑)。一応それはまぁそういう質問なのねってやるんだけど、意外と弱かったですね。
[薬丸]じゃぁもうホントにもう、寮と予備校の往復だったんですか?
[田中]…っていう形で綺麗にまとめたいんですけども…私、当時からほら、洋服が好きだったから、VANジャケットってあったんですね。VANジャケットのセールとかがソニービルの上であるって聞き付けると、一人でそこ行って・・・。
[薬丸]すごい興味深いのは、VANのジャケットを着てどこに行ってたんですか?
[田中]でもその時にね、多分多浪生で三浪の人がいたんですよね。で、この人が熊本出身で、「大将」ってみんなから呼ばれて、で、なんかみんな、こう、惹きつけられるようにやっぱりそういう要素が…で、「大将」が、じゃぁ、今日は遊びに行こうっつって、土曜日かなんかこう、みんな黄色い総武線に乗って、ずぅっと新宿まで行くわけ。ディスコ行ったりしてね。カンタベリーハウスっていうのが・・・。で、帰りにあのー、熊本だからその人、桂花らーめん食べるとか言って、当時、オレンジ色の電車も各駅なわけですよ。で、御茶ノ水から黄色い電車にもう一回乗り換えて、多分、西船行きからなんかの最終に乗って帰る。あの、合格してから、駿台の新聞があって、それにじゃぁ君の合格体験記を書いてくださいっつって、文章書いてったら、上の、主任が出てきて、ちょっとこれはさぁ・・・、君さぁ遊びの話が多すぎるんでって・・・。ちゃんとメリハリを付けましょうっていうことを書いていたつもりだったんですけど、やっぱりディテールを事細かに書きすぎたので、いや、これは、初めて予備校に入ってくる四月の子供にはちょっと刺激が・・・って言われて、そうですね、っていう。多分、これを見た親は今頃んなって、40年近く経って、なんだあの時、学費渡してたのに、なんだったんだって・・・。
[薬丸]ディスコ行ってたのかって(笑)。
[田中]そういう事を告白させる番組ってすごい。
[薬丸・野村]はっはっはっは。
[田中]すごいですねこれは!
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ちょっぴり背伸びをしながら大人の階段を登っていった田中さん。大学に入学し、更に都会の最先端の文化に触れるのです。昭和51年、一浪の末、一橋大学に入学した田中さん。この頃、学生運動は収束に向かい、新たな若者のライフスタイルが生まれ始めていたのです。その流れを敏感に感じ取っていた田中青年。特に夢中になったのは、海の向こうから東京にやってきた最新の音楽でした。
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[田中]まぁ、AORという言葉が出てくる前から・・・。
[薬丸]AORって何ですか?
[田中]AORってのは、アダルト・オリエンテッド・ロックと呼ばれていた、所謂、ロックではなくて、非常にまぁ、良く言えばメロウというか、非常にメロディアスな音楽。家にはもう・・・まぁ、卒業した後も買ったりしたんで数千枚、4、5千枚あるんですけど、何枚か持ってきましょうかって。例えば、ジェームス・テイラーの弟のリヴィングストン・テイラーの。
Livingston Taylor - Sunshine girl 1980
この人の場合はジェームス・テイラーと違うから、こう、ちょっと肩の力が抜けてるというか・・・。アダルト・オリエンテッドって勘違いしないでくださいね。アダルトってのは、そういう真っ、健全な・成熟した大人の、のオリエンテッドに根ざした・・・だから、所謂、主義主張を述べているような、声高に述べるロックではなくて、生活に根ざした、生活の中の音楽というかですね。
[薬丸]それ、ロックなんですか?
[田中]んー、だから、ズンチャンズンチャンっていうロックではないんですね、んー。これはニール・ラーセンっていう人で。
Neil Larsen - Jungle Fever 1978
[野村]この、アンテナっていうのはどういう、どこで?
[田中]それは一番最初はやっぱり、今は無いですけど、骨董通りにパイド・パイパー・ハウスという輸入盤をやってるレコード屋さんがあって、僕が大学、多分1年か2年の頃からそこに出入りして。
例えばですね、これですね。これはスティーブ・ギブという人で、これ、カットしてあるでしょ?
[野村]はい。
[田中]これはあのー、所謂、向こうでも人気が出なかったんでカット盤っていうわけです。所謂、 車で言う新古車みたいなもんですね。あるいは、ここに穴が開いてたりするんでホール盤。
[薬丸]こんなLP盤ってあったんですか?
[田中]だから、元々向こうで出たけどもすぐには人気が出ない場合に、多少値段が下がってくる為に、こういう、向こうでカットしてきてるわけ。レコードはカットされてませんよ。で、これはあのー、その人(スティーブ・ギブ)ので、この人は日本で出てなかったんです。でも、僕の最初の作品の中でこの人の事が出てきて、その後、日本盤が出たという。
Steve Gibb – Tell Me That You Love Me 1979
[野村]えぇー?!
[田中]皆さんも、あぁ、これがAORだと思って下さって、今でもCDでも日本盤で出てるという。
[野村]じゃ、もう、日本に知らせたのは田中さんなんですね。
[田中]…日本で一番人気が出ちゃったっていう。あたしには一円もお金が入んなかったんですけどね、ホントに(笑)。
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大学生活を謳歌していた田中さん。4年生で金融機関から内定を貰うも、順風満帆な人生から一転・・・。まさかの留年。内定も棒に振ってしまいます。屈辱の大学5年生、とも思いきや、むしろこの1年が人生の転機となったのです。
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[田中]残念ながら改修工事中ですけど、あそこが時計台があってあの上が大閲覧室という図書室なんですね。そこで最初の作品を書いたんですね。
[薬丸]それをあの図書館でずっと考えていたんですか?
[田中]えーっと、最初の作品は多分、当時、手書きですからね勿論、5月の連休明けから書き始めて5月の最後の日に書き終えて、で『文藝賞』に応募したんですね。
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こうして誕生した『なんとなく、クリスタル』。東京に暮らす女子大生を主人公に、少し前までの学生運動全盛期とは違う、新たな世代の空気感を描きました。
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僕らって、青春とはなにか! 恋愛とはなにか!なんて、哲学少年みたいに考えたことってないじゃない?
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特徴的だったのは、登場するブランドやレストランに対し、田中さんならではの註と分析が入っていること。その数なんと442個。デビュー作がいきなり100万部を超えるベストセラーに。こうして田中さんを取り巻く環境は目まぐるしく変わり始めました。
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[田中]段々、渋谷の街とか歩いてるててもみんながこう(顔を指す仕草)ハッ!ハッ!て、なんかお尋ね者みたいに指さすようになるわけですよ。全国指名手配みたいになっちゃって。
[野村]どういう心境だったんですか?
[田中]んー、面白いですね。多分、薬丸さんだって、ホントにだって、デビューされて脚光を浴び れれた時って、自分でも、あぁ凄い、自分でも努力してるけど、自分だけではないすごい歯車が回ってるって感じってあったでしょ?
[薬丸](頷く)
[田中]でも、僕はずっと思ってんのはどんなに楽しいことがあっても悲しいことがあっても、1分1秒は同じ様に過ぎて行くわけですよ。
[薬丸・野村]はい。
[田中]楽しいからって1分が5分にはならないでしょ?まぁ、今でもずっとそういう気持ちですね。まぁ、その程度ですよ、ホントに。
[薬丸]えぇ!?。
[野村]その程度がすごい事に。
[薬丸]すごいですよね。
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昭和56年、処女作『なんとなく、クリスタル』が100万部を超えるベストセラーとなった田中さん。本の中に登場するお店が今も残っています。そのお店は、大学生だった田中さんが、女性とデートした思い出深い場所でもあるのです。
[田中]あたしがもう、学生の頃からよく来ていた千代紙のお店で『いせ辰』という、名前はとても有名なんですけども。
[野村]はい。全体的にすごい渋い大学生のイメージが今・・・。
[田中]こういうデートもあるし、そうではない・・・。
[野村]そっかぁ。
[田中]それこそまだ、今は「クラブ」ですけども、昔のディスコと呼ばれたような時代に、青山とか六本木に行くってのもあったり、色んなヴァリエーション・パターンで。
[野村]ちなみに、歩いてても楽しいですよね、こう、ぽこぽこと面白いお店が・・・。
[田中]ですから最近は、この奥の方は海外からいらっしゃったような方が泊まるような昔の旅館がもう、海外の人ばっかりになってる旅館とかあるんです。
[野村]うわっ、すごい顔!こんな大っきい…これ、看板…これ紙なんですか?!これも。
[田中]そうでございます。どうぞお入り下さいませ。どうぞあの・・・。
[薬丸]いや「デート」ですから(笑)。
[田中]あの、「保護者」もどうぞお入り下さいませ。
[野村]すごい!玉手箱みたいな店内ですね!
[田中]そうなの。
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江戸時代創業の『いせ辰』は千代紙の専門店。『なんとなく、クリスタル』にも主人公のお気に入りのお店として描かれています。
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不忍通りを横切って谷中へと、歩いて行くのがいい。
いせ辰で、ブック・カバー用にと江戸千代紙を買ってみる。
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・・・と書いてあります。
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[野村]いやなんか、こういう紙とかを一緒に来た女の子にプレゼントしたりとかしてたんですか?
[田中]そうですね。私はこちらに・・・こちら側でござるかな。
[野村]あぁまた張子だと・・・。
[田中]・・・こういうね。
[野村]・・・歌舞伎の。
[田中]そうそうそう。
[野村]うわぁ、この張子の上にこう、ちっちゃい日本一っていうのが可愛いんですよね。
[田中]日本一。そうそうそう。そうなんです。
[野村]あっ、しかも後ろ姿なんですね。
[田中]あぁ後ろもちゃんと付いてる。女の子にもこういうのを昔は買ってあげたり。あるいは4種類私が買って、この中の、一枚ずつ入れて、4枚にして持ってってもらう。そうするとそのデートの時だけじゃなくて多分、その後2度と会わなくても時々こう・・・ほろ苦い思い出で。他の男性と会ってる時に思い出してくれたりしますでしょ。
[野村]あの時田中君に買ってもらったな、『いせ辰』の袋・・・みたいな感じで。
[田中]あぁ…当時はまだヤッシーとは呼ばれてませんでしたね。
[野村](笑)。
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デートをはじめ、謳歌していた青春時代の経験がこの処女作で切り取られているのです。そしてすぐ近くにも本で描かれたものを彷彿とさせるお店が。
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谷中せんべいをほおばりながら、お寺めぐりもしてしまう。
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[田中]・・・というわけでですね『いせ辰』の後は、こちらが千駄木の駅の近くの『菊見せんべい』 という。
[野村]すごい店構えが素敵ですねー。
[田中]そうなの。こんにちは。
[野村]こんにちは。
[田中]どうもご無沙汰してます。でん、色んなお煎餅があるんですけど。
[野村]はい、またこの色加減がイイですね!
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田中さんが女性へのおうちのお土産に買ったり、デート中に一緒に頬張ったりしたという思い出の『菊見せんべい』。
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[田中]実は、私がとっても大好きなのは、こちらの『めずらし煎餅』といいましてね。お砂糖をまぶしてあってこういう楕円形なんです。昔は、あのーほら、パソコンでないような時代は、なんかこう、原稿用紙書きながら、これ食べちゃうとやっぱり一箱全部、一袋全部ついつい、夜とかも食べて。これは美味しいですから。
[薬丸]すいません、こちら・・・あっ、めずらしい味だ!
[天野善之(菊見せんべい総本店店主)さん]これ、めずらし・・・そうですね、色んな人に。
[薬丸]・・・仰ったのはどなたなんですか?
[天野さん]いや、どなたか分からないぐらい昔なので。
[田中]まぁでもこの辺はホントに、この団子坂には森鴎外とか夏目漱石とかね。
[天野さん]そうですね。漱石さんとかも召し上がったと言われていて。
[薬丸]え?!このお煎餅をですか?
[天野さん]いや、この四角いお煎餅なんか。もう、田中先生はもう、それこそ僕が子供の時からいらして頂いて、ホントに。
[田中]いえいえいえ。ありがとうございます。じゃぁこれも。
[野村]ありがとうございます。
[薬丸]まぁ今日、「田中先生がいらっしゃらないので」お伺いするんですけど・・・どういう女性といらしたんですか??
[田中]ふっふっふっふ。
[野村]聞きたいです!聞きたいです!
[天野さん]いやもう、それはもう・・・、あんまり・・・。深くアレしないほうが宜しいかなとお綺麗な方が、はい。
[薬丸]あぁそうですか(笑)。
[野村]あぁ(笑)。
[天野さん]はい。あのーお若い時はもう、ホントおモテになったと思いますよ。
[田中]ふっふっふ。
[天野さん]今でもおモテでしょうけど。
[田中]なんか過去形で言われてしまいました。
[野村]はっはっは。
[田中]過去完了のような話になってしまいましたけど(笑)。
*
煎餅を頬張れば思い出されるあの頃のデート。
*
[薬丸]塩っ辛さと甘さがひとつになった、とても美味しいですね!
[野村]美味しいですね。また軽い食感がたまらないから一袋食べちゃうの分かりますね。
[田中]すごいですね。二人共、私よりも表現力が豊かで、いやいやいや。
[薬丸]デートの哲学を教えて・・・。
[田中]やっぱ予習復習が。勉強と同じですよ。
[薬丸・野村]デートに?!
[薬丸]予習復習があった??
[田中]だから、やっぱだから初めて・・・、まぁ僕だって当時インターネットないけど、例えば、なんか本とか雑誌とか友達から聞いた・・・、あっここったらやっぱ余裕があれば事前に下見に行きましたよね。
[野村]えぇ!?
[田中]だって番組だって、いいスタッフはやっぱり下見に行って、そしてあぁこういうアングルで撮ろうとか思うじゃないですか。
[薬丸・野村]はい。
[田中]すいません、私がこんな話まで。
[薬丸]そういう所まで、いやいやデートで。
[田中]やっぱ復習も大事ですよね。
[野村]復習ってどういうことなんですか??
[田中]だから例えば、女の子でも自分が良かれと思ってしても、相手にとってむしろ負担っていう場合もあるわけじゃないですか。ここに是非連れてってあげたいな、と思ったのに、その彼女からするとそこはちょっとなんかこう、肩肘・・・、自分としちゃ緊張しちゃったなっていう表情だった時には、やっぱりその子にはお値段の問題じゃなくて、もっとこういう、リラックスできるような場所もデートの中に入れたほうが良いなとか。
[野村]ホォ・・・。
[田中]予習復習。だからやっぱ、ある意味じゃ車での移動も、今は若い人はなかなか車は使くなった・・・、車の中でいい音楽、自分でベストカセットを作ってるけど・・・、同時に会話が途切れない、喋りっぱなしじゃないんだけど、ちゃんと程よい感じで会話ある。
[薬丸]今のお話の中にベストカセットっていうのが出てきましたけど、ご自身の好きな曲を全部カセットテープに・・・。
[田中]そうそう。
[薬丸]…録音するんですか?
[田中]昔はだって、CDじゃないじゃないですか、車も。
[薬丸]はい。
[野村]はいはい。
[田中]実は、半年前の女の子も同じカセット使う場合もあった・・・、かもしれませんけど、なんでこんなこと言わなきゃ・・・。
[薬丸・野村]はっはっは。
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昭和の時代、青春を謳歌していた田中さん。そんな当時の田中さんをよく知る人物が居るといいます。千代田区にある如水会館は田中さんの母校一橋大学の同窓会館として建てられました。
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[田中]大変に私の事を詳しく知ってらっしゃる井上寿一さんをゲストでお招きを致しましたので。井上さんよろしくお願いします。
[井上寿一]こんにちは。井上と申します。どうぞよろしくお願い致します。
[薬丸・野村]こちらこそ、よろしくお願い致します。
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井上寿一さんは、大学時代、田中さんとはゼミのクラスメイトでした。現在は学習院大学の学長であり、日本を代表する政治学者でもあります。
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[野村](田中さんは)やっぱ女の子に好かれてモテモテだったと思うんですけど。
[井上]はい。ある日、田中君のお父様と3人で話をする機会があったんですね。その時にお父様から「井上君ね、康夫は女の子の友達はいっぱいいるのだけど、男の友達がいないから、井上君ぜひ頼むよ」って言われて。
[薬丸・野村]えぇ!?はっはっは。
[井上]すごい使命感に燃えて(笑)。もう殆ど唯一の男友達か?!みたいな、そのぐらい女の人の友達はもうホント山ほど居たですね(笑)。だから唯一の欠点は男の友達が少ない。
[薬丸]ほぇ、なんか話的につまんないよね。
[野村]なんかね、なんかちょっと失敗談とか。
[薬丸]そうですね。なんかインタビューしてて・・・。
[田中]ないでしょ、だって・・・。
[薬丸]天邪鬼的なコメントしかないんですよね。
[井上]そう。そう。そう。まぁ、照れて。
[薬丸]照れなんですね。裏返しなんですね、照れの。
[井上]そうなんです。私はもう、田中君とは二人だけの深夜のドライブとか、二人だけの青山・六本木とか、二人だけの沖縄旅行とかあるんですよ。
[薬丸・野村]えぇー?!
[井上]怪しい関係じゃ無いので、一応言っておきますけど。
[野村]そういう時にお話されてた一大テーマ的なものっていうのは?
[井上]田中君、よく青春とは何だとか、生きていくとは何だとか、っていうようなこと、話さないよね?っていうような、『クリスタル』の中にも書いてありますけど、まさにそうで、例えば、深夜のドライブに行って東京湾の埋め立て地に行って車を停めるわけですよね。
[野村]ロマンチックな・・・(笑)。
[井上]で、そうすると「ロマンチック」なんですけども、話は全然ロマンチックとはちょっと違っていて、こっち側は真っ暗なんだけど向こう側は東京の灯りが煌々と点いていて、コントラストがすごいんですよ。田中君はそこを説明してくれて、近未来都市みたいでしょ?っていう風に言うわけですよ。それでなんかちょっと崩壊の予兆を持ちながら、あの頃まだ20世紀でしたから21世紀の日本てこういう風景が普通になるのかな?みたいな、そういう話ですよ。
[薬丸・野村]へぇーえ。
[井上]だから沖縄行ったときだって、僕なんか沖縄行ったらばあっちもこっちも見てみたいっていうようなね、観光客気分なんだけど、田中君は違って一緒に海岸に行って、ただ寝そべってたりするだけなんですよ。
[野村]えぇ??
[井上]えぇ。それで、私なんか貧乏性なんで、なんかじっとしてられないんで、なんか、海岸にいてもしょうがないよねって感じなんだけれども。
[野村]サーターアンダーギー食べて首里城行って海水浴して・・・。
[薬丸]そうね、ソースそば食べてラフテー食べてみたいな。
[井上]彼はもう、そういうヴァカンスっていうのは何なのかっていうのがもう分かってる人なので。
[田中]自分で自分の時間とか考えとか動きが出来ないから、つい、作られたベルトコンベアーに。そういう、休暇に行ってもつい乗ってしまう、ってのがあるじゃないですか。なんか、その辺が「違う」のかなぁって思ってたの。
[薬丸]そう・・・ねぇ、砂場で寝そべってるだけだったら・・・。
[井上]そうなんですよ。
[薬丸]・・・九十九里浜でもいいですもんね。
[井上]いや、そうなんですよ!
[田中](笑)。
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時代の空気を感じ、それを自ら表現してきた田中康夫さん。その生き方はこれからも続くのです。
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[薬丸]田中さんにとって昭和を過ごした青春時代はどんな時代だったでしょうか。
[田中]まぁ僕は、昭和31年という「もはや戦後ではない」って経済白書に書かれた時に生まれて、ある意味ではあの、僕は経験してませんが、大正デモクラシーというような時代。そういう理屈ではなくて人間の皮膚感覚で理想を求め、それを微力だけど一歩一歩皆が築いていくという、そういう時代が僕にとっての昭和のイメージですね。
[薬丸]ぐっとくるお言葉でしたね。
[野村]そうですね。
[田中]とんでもない。
[薬丸]今日は本当に・・・。
[田中]いえこちらこそ本当にありがとうございました。
[薬丸・野村]ありがとうございました。