田中康夫の「だから、言わんこっちゃない!」vol.266『大相撲は神事に非ず‼ 間違いだらけの「国技」w大相撲』

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田中康夫の「だから、言わんこっちゃない!」vol.266『大相撲は神事に非ず‼ 間違いだらけの「国技」w大相撲』と題してお届けをいたします。
皆様ご存じのようにですね、市長があいさつをしていたらくも膜下で倒れちゃったと。もちろんくも膜下かどうかわからない。そこでですね、その(* 多々見良三 - wikipedia)市長はもともと病院(舞鶴共済病院)の院長であったと。で、そこの看護師の人たちが見に来ていたので、すぐに土俵の上にとっさに上がってですね心臓マッサージを始めたと。

そもそもですねAED自動体外式除細動器 じどうたいがいしきじょさいどうき、英語: Automated External Defibrillator)が土俵のそばに置いていないっていうのも不思議でございますし、これは国技館も実際どうなのかと、大阪場所、先日までのどうなのかと。もっと言えば医師とか救急班っていうのは土俵下のところにですね、紋付袴みたいなのを着た元力士(勝負審判・審判委員)たちが座ってるんじゃなくて、どこにいるのかというようなところをメディアはきちんと書くべきだと思うんですね。もちろん海外でですね、peculiar(【名】〔個人に〕特有の物 私有財産 【形】 奇妙な、特有の、特異な)なqueer(【形】 風変わりな、妙な、変な)な日本と、ストレンジな日本という形で書かれている。

それをそのまま流すだけだったらメディアの役目はないわけでございまして、二度と同じようなことが起きないために、土俵下に医療班がいるのか、あるいは観客の中だって心臓麻痺を起こす方もいるかもしれませんから、どこにあるのかと。消防法でですねスプリンクラーがどこについているかというようなことと同じように、きちんとルール作りをしろと。そしてそれを新たな「良い意味」でのですね、拍手喝采される、しょーもない守旧派の議員が「新しい利権にしろ」くらいなことを産経新聞あたりは書かなきゃいけないと私は今回思ったわけでございます。で、消防隊が駆けつけてきたから彼女たちを降ろしたんだとか言うけど、その前にアナウンスとしては「女性は土俵から下りてください」っつってんですから、まあ何をか言わんやなわけでございますね。そしてですねもう一点はですね、相撲は「国技だから」と、あるいは「神事だから」と、「だから女子禁制」などという話はもう、ちゃんちゃら笑わかしてしまうということではございませんでしょうか。

だって皆さん、今でも日本にはですね、女子の相撲というものがあるわけですね。日本相撲連盟が主催する主要な大会としてはですね、全日本女子相撲選手権大会というものがあるわけでございます。大学の相撲部にも女子の子たちはいるわけでございますね。そして実は、この女子相撲というものはむしろ日本以上に、柔道がヨーロッパに伝わったようにオランダに伝ってヨーロッパにおいて盛んであると。ドイツあたりにはたくさんあるわけでございます。だからそもそもですね「土俵の上に女性が乗ることはけしからん」などというものが歴史的に見て違うんじゃないのかと。これは、私がいつもリツイートもさせていただいている、大変素晴らしいHiroko Uehara @uesimobilemeさんという、ローマ字でのアカウントでツイートされている方からもご連絡いただきましてですね、変だよね、だって神聖不可侵だっていうのになんで勝ったら現金をわーっと鷲掴みするような、それってまるで子供がいただきますって言う前に飯食っちまうというのがルール違反だとrude(【形容詞】〈人・行為が〉不作法な,失礼な,無礼な)と言えないじゃないのかと。あるいは神事だと言いながら、なんで広告丸出しの何百万円もの化粧まわしをしてるんだよと。で、職業なわけでございますけど、元々ですね、これをですねやはり研究されている方々がたくさんいらっしゃるわけでございます。

 

【参考資料】

興行としての女相撲に関する研究-金田英子(日本体育大学
http://library.nittai.ac.jp/kiyou/docs/22-2-97-102.pdf

日本社会における相撲の歴史-生沼芳弘(東海大学
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110000194851.pdf?id=ART0000561878

相撲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%92%B2

女相撲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%9B%B8%E6%92%B2

日本相撲連盟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9B%B8%E6%92%B2%E9%80%A3%E7%9B%9F

大相撲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9B%B8%E6%92%B2#%E6%AD%B4%E5%8F%B2

日本相撲協会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9B%B8%E6%92%B2%E5%8D%94%E4%BC%9A

で、この方はですね東海大学の体育学部の方で生沼芳弘さんという方の『日本社会における相撲の歴史』、それからですねこちらは日本体育大学のですね金田英子さんという方の『興行としての女相撲に関する研究』、これをHiroko Ueharaさんがですね私にPDFでお送りを下さいました。本当にありがたい限りでございますけど、この資料に基づいてちょっと簡単に皆様にお話しするとですね、もともと相撲が登場したのは日本書紀に書かれている。でこれがですね642年だと。これは何のために行ったかというと、まさに今上天皇が述べているようにですね、百済の使者をもてなすためにすごい力持ちの左官さんていうよりも大工の棟梁みたいに一杯荷物持っちゃう、それを招集して相撲を取らせたと。これが最初だというんですね。724年から749年の頃の聖武天皇の頃になるとですね、毎年7月7日の七夕のお祭りの時に宮中で相撲の天覧を行ったと。これが相撲の最初なんだそうでございます。で、こういう形が平安朝に入るとですねずっと続いてきたと。なかなかこの生沼さんというのは、開沼博さんという困ったですね「原発はなんの問題もない」と言ってるわけのわからない、で、荻上チキさまと一緒に「福島は原発は何の問題もない」と言ってるようなですね、困った「意識高い系」とは違う内容でございます。

で、武家相撲というのになってったというんですね。なるほどということで、戦国大名たちの頃にはたくさん戦国大名がもう抱えていたと、そういう人たちを、ということなんで、多分まぁ、いわゆるあれですね、芸能部みたいなもんだと思うんですね。だからいろんな団体の中に芸能部というのがありますけれども、宗教の団体とかも。そういう感じだったんでございますね。で、これがずっと続いてですね戦国時代にそういう形になってきたと。で、京都であったんだそうでございます、昔。で、京都と大阪が相撲の、これは秀吉の頃から相撲が大変に京都で流行ったと。まあだから、歌舞伎と阿国歌舞伎と同じようなもんですね。

 

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「かぶりもの」な歌舞伎者な人たちっていうことですよね。体の具合だって一般の方とは違うわけでございますから。で大阪でもですね、あの堀江新地の辺りで勧進相撲というのが始まったと。で、江戸はですね寛永元年くらいになって四谷塩町(現・新宿区四谷四丁目)ってのはどこでしょうね、たぶん雪印がある辺りかなぁという感じがいたしますけれども、そこで始めたと。徳川時代はずっとそういう形が続いてたんだそうでございます。でどうなってたかというとですね、深川八幡、富岡八幡でございますかね、の境内で行なうようになってったりして、ですから戦国時代にはなんと、織田とか豊臣、毛利、大友、長宗我部とか皆、家臣として力士を抱えていたということがこの方のには書いてございます。

ある意味では半端者でもあるわけでございますよね。こういう半端者な方たちは喧嘩っ早かったりなんかするという方たちだと思います。大相撲というものと相撲というものが、本来厳密に言えば、まさに今のは相撲の歴史でございまして、で、大相撲という具合になってったのが、結局、今言ったように勧進相撲という形で本所の回向院(えこういん)の辺りでですね大規模な、だからお祭りと一緒ですね。この頃が雷電などという、実はこの方は長野県出身だったという方でございます。明治になって裸体禁止と、1871年東京府がですね裸体禁止令というのを出したんで、東京相撲の力士は罰金とか鞭打ち刑に処されたと。この時には人権が無かった。むしろそれをみんなが楽しんで見ちゃったと。まあそういう、良くも悪くもいろんな(意味で)慰み者で、じゃあなんで天覧相撲がもう1回出てきたかっていうと、その時に明治天皇が相撲が好きで自分も取ることがあったと。で、伊藤博文、まぁホントに長州出身の方ってのは色々と問題がある、吉田松陰というものもですね、あまりに過大評価されてきているってことをもう一度問わなきゃいけないってことを、このあいだ浅田彰さんと話しましたけど、こういう中でですね、1884年に天覧相撲がもう1回出てきたと。ここで公認されてきたということです。ということはですね神事と言ってますけども、これはですね、まさに明治以降に出てきた国家神道というものと国家相撲というものは対なのではないかという気がするんですね。

神道というのは皆さん、生きとし生けるものを皆愛しむというところから本来は出てきたはずでございます。そりゃ卑弥呼の時代に呪術的であったというような側面はあるかもしれないけど、少なくとも神道というものは、そういう形できたのが廃仏毀釈のような形が行われですね、そして平成の大合併と同じようにですね、神社がどんどんどんどん合併させられてったと。この時に南方熊楠は敢然と怒っているわけですね。つまり紀州のようなところだけでなくて、いろんなところにに、まさに字のところに1個ずつですね神社のような、皆が寄り添える場所があったのが神社を統廃合してちゃったと。平成の大合併と同じように、そして集落を分断して中央集権にしていこうというですね、まさに36000もコミューンがあるフランスであったりですね、あるいは州憲法に基づいてのですね基礎自治体というものが8万いくつもあるアメリカとは全く違う、日本の「大きければ良い」というですね、人間のコミュニティを壊していくという中の国家神道でありですね、地域神道ではなくてですね、国家神道であり、そして国家相撲だったのではなかろうかという気がどうもいたしてくるわけでございます。そういう中でですね、これは先ほど言ったように明治初期にそういう形になったと。でまあ本当に、みんなが鞭打ちをしちゃったのにも関わらず伊藤博文が言って国家相撲という形になってきたという形じゃないかと思うんです。

ですから日本相撲協会というのは公益財団法人でございますから、おそらく税金も何も払っちゃいねぇと。1927年に大阪相撲という大阪相撲協会が解散してですね大日本相撲協会に合流して大相撲というものが始まったということであります。だからまさにこれは国威発揚という形の中で出てきていると。で、喧嘩っ早い、今もいろんなトラブルがあるということです。その意味で言えばですね、相撲という、大相撲という歴史の上においては喧嘩や暴力は無い筈は無かろうという冷静な見方、だから良いということではなくてですね、「大相撲を神事である。国技である」というふうに言ってますけど、もっと言えば国技であるというならば、私が以前から申し上げているように、なんでグルジアジョージア)やの国籍の方が土俵の上に乗るんですか?日本国籍の方が乗れなくて、女性の方は、あるいはもちろん、力士じゃない方も乗れなくて、なんで日本国籍ではない方が乗るんですか。小錦さんのようにきちんと帰化をすれば、それは今上天皇も述べているように「朝鮮半島からのDNAというものが日本の皇室にも入っていることに私は親しみを感じる」とおっしゃったわけでございますから、こういったところを産経新聞はネグっているということは、まさにこれこそ不敬罪でございます。

国技というのに何故日本国籍じゃない方が乗るのか、私はべつに右翼でも何でもございませんが、このことを疑問に思わない方が不思議でございます。そして「女性が乗ってはいけない」というけれども、相撲という概念においては女相撲というものがいまだにあるということでございます。そしてこの女相撲に関しましてはですね、江戸の中期、18世紀ごろから流行ったという風にwikipediaちゃんには書いてございますけれども、実はこれも先ほどの日本体育大学のですね金田英子さんという方の論文によりますと、女相撲に関しても日本書紀に載っているということなんでございますね。そんなに歴史のあるものなのにですね、ジェンダーが、今のLGBTになる前からですね、ある方が乗れないで、江戸になるとですね浮世草子浄瑠璃などの文学作品にも女相撲が出てきていると。でまぁここはまあ、大きな問題なんですが、女の人たちだけだとなかなか美形の人がいなかったんだそうでございます。女子プロレスというものも、ある意味ではこれは女相撲の系譜ということもいえるわけですね。で、なかなか美形の人が集められなかったので、女の人と目の不自由な方が、男の方なんですけども相撲を取るというような形になると。まぁこれは今であれば小人プロレスと同じように映らないというかもしれませんけれど、これも一つの歴史なわけでございまして、「リベラルの歴史改竄主義や歴史修正主義はけしからんぞ」と言っているようなネトウヨやですねネトサポの方々はですね、こうしたものも復活しろと、まさに私どもが手に今まで取ったことがないような歴史の教科書を出しているような出版社というものが有象無象でてきておりますけれども、こういう方々こそですねこういう部分をですね、きちんと子どもに教えるということも私は「あり」なんじゃなかろうかと思うわけでございますね。東京で言うとですね、両国でやっぱりこういう女相撲が行われてたと。女の方とですね、目の不自由な方の相撲が行われていたと、盲目の方の。で、大阪も難波新地とか名古屋でも行われていたと。明治期になるとなんと山形県を中心に女相撲の興行団が、興行だったんですね。

不思議な事にですね、私も存じ上げなかったんですけれども、明治時代にも読売新聞さまが素晴らしくこの女相撲ですね、非常に持ち上げる記事を書いてらっしゃるんだそうでございます。そして実は、防空演習中でもですね開催いたしますと。「見よ!非常時日本人の血を沸かす。来たれ!大国技、火と熱の戦場へ!」ってこれ、後でリンクを張っときますが、

興行としての女相撲に関する研究-金田英子(日本体育大学
http://library.nittai.ac.jp/kiyou/docs/22-2-97-102.pdf

こんな文章までですね京都ではですね大書きされたんだそうでございます。東京はなんと武蔵小山でもやってたと、駅前の空き地で。今は駅も地下になったので空き地があるじゃないかっていうけど、その前からでございますね。そしてなんと驚いたことに昭和26年、戦争から6年経ってるんですよ、昭和26年、戦争開始から10年経ってるんですよ、昭和26年12月、敗戦から1年ですね、新宿伊勢丹百貨店横空き地に女相撲がやってくると。で、こういう方々がだんだんサーカスとかに行かれたんだそうでございます。もともとこの女相撲というのはどういうものであったかということですね、すごくてですね、まさにその善光寺の裏でやってたような、怪しいですね、目が一つしかない女の方とかヘビの格好してる女の人とか、向こうだと人魚だったんでございましょうけども、すごいんですよこれ、歯でいわゆる米俵を持って、あるいはですね、25貫目ある土俵を前歯で支えて歩いた(笑)。だからもう虫歯がある人はすぐそれが取れちゃったっていうわけわからないことが書いてあるんだそうでございます。これもなんのトリックでもなんでもないってことなんで、マリックさんのようなトリックじゃないっていうことですから本物だったっていうことでございますね。あとはですね、お腹の上に土俵を敷いて俵10俵を敷いて、その上にですね杵を置いて臼を置いてそして力士2人で餅つきをしたっていう。そのお腹が耐えられるような女性が女相撲だったってことですから、まあ本当に奇人変人ではなくてですね、本当にまさにpeculiarということなんでございますですね。

ということでこういう、腹の上の餅つきとか歯力の芸とか、こういう形がずっと昭和の初期まで続いていたということでありますから、先ほど来申し上げているように、国技だとかいうものではなくて、長い歴史が日本書紀にもあるかもしれない、だけどそんな神聖不可侵などというものでは全くないということでございまして、税金も免れているのに大相撲というものが、相撲とは違う、あるいは女子相撲というものが存在するのに、もともとこれも皆さんご存じ、あのちびっこ相撲で女の子ですごい強い力士の子がいて、大会は国技館でやるかなんかだったのに、その子がそこに乗れなかったみたいな形があるので、大阪府知事だの宝塚市長だのが「私を乗っけろ」なんてのは、これはもうまさに、ネトウヨの方もですね、パヨクの意見だとおっしゃってもよろしいかと思うんですが、斯くもですね、このように日本は本音建前と言いながら建前を隠し、本音の部分をですね異常に膨らましてですねご都合主義のビジネスになっているということでございます。

で、これは昭和天皇も決して望んでた形ではなかろうと私は思いますのでですね、神事だとか国技などというですね、国家神道と同じような言葉はもう一掃していただいて、出直しをしていただくということがですね、政治も経済も日本をガラガラポンポン状態の中において必要かなということを改めて感じました。

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