1991年1月3日 NHK-BS 対談 日本とは何者か 加藤周一 田中康夫 PartⅠ世代について

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「註の新たな註」
「いまクリ」と「もとクリ」、その記憶の円盤が舞い続ける時空。

ようこそ現在から1980年の東京、そして日本へ❣
「✽文庫本化に際しての、ひとつの新たな長い註。」でお約束した「註の新たな註」は、
両書に登場する「字句の解釈」に留まらず、
高度消費社会の幕開けから現在に至る時代背景を、
関連する僕の拙稿等も紹介しながら絵解きしていくサイトです。

[国谷裕子]元日から3日間のシリーズでお伝えしていますBS1スペシャル『1991年 日本』、今日はその最終回です。これまで外交・経済を通して日本の選択を探って参りましたが、今日は「日本とは何者か?」をテーマにお送りして参ります。経済的に大国とまで呼ばれるようになりました日本ですが、なぜか外交の場ではその力を発揮することができません。ボーダレス時代と言われる中で、日本人は相変わらず自己完結的な意識の中に安住しようとしているのではないか?この疑問がこれまでの討論を通したテーマであったように思います。それでは日本人の意識とは一体なんなのでしょうか?戦後日本人の何が変わり何が変わらなかったのでしょうか?これから3時間半にわたって日本人の意識にまで踏み込んだ議論を展開して頂きます。それでは早速、ご出席して頂きます方々をご紹介して参りましょう。まず第一部では評論家の加藤周一さんと作家の田中康夫さんによる対談。戦前に生まれ戦後を見続けてきた加藤周一さんと高度成長期時代に育った田中康夫さん。37歳の年齢差から浮かび上がるものとは一体なんなのでしょうか?

それでは早速、加藤周一さんと田中康夫さんによる対談をご覧頂きましょう。

*

[国谷]加藤周一さん、71歳。政治・文学・芸術にわたる多彩な評論活動で戦後日本の言論をリードしてきました。

[加藤周一](田中康夫さんと)まだお会いしてないですけどね。田中さんは若い人たちの、なんていうかな、感覚的文化を内側からホントによく分かってらっしゃるんじゃないかっていう気がするんですよ。で、それが年齢があんまり開いているとね、私たちからは分かりにくい面があるので、そういうことをホントに分かってる人っていう感じですね。で、そういうことを訊いてみたいと思います。

[国谷]田中康夫さん、34歳。学生時代に発表した『なんとなく、クリスタル』以来、現代の若者風俗を題材にしながら辛口の批評を展開しています。

[田中康夫]初めてお会いすんですけどね、ウチの例えば、父親とか母親の世代にとってはもう本当に尊敬すべきリベラルの人って感じだと思うのね。でもリベラルってのは単に大きな声で正義を語るっていうふうに勘違いされるらしいけれど、そうじゃなくて本当に発言に責任を持って、決して大きな声じゃなくて言うべきことは言うっていうことだと思うのね。で、それをきっと僕よりももっと昔からなさってきた方じゃないかな、っていうふうに僕は思ってますけど。

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[田中]たまたま今日の出掛けに実家から電話が掛かってきまして、「今日は何をしてるの?」って言うから「加藤先生とこれからテレビで対談をするんだ」って言ったらウチの母親がとても驚いて、「あなたのような教養のない人が、加藤さんと長時間対談したらボロが出ちゃうでしょ」って言われて出てきたところなんですけれどね(笑)。僕の親はちょうど昭和の初期、一桁の、特に5年より前の生まれですから。

[加藤]ああそうですか。

[田中]そういう人にとっては加藤さんはいわゆる、なんて言うんですか、尊敬すべき大御所なんだと思いますけども。

[加藤]一桁っていうと・・・、ああそうですか。私より10年ぐらいの違いかな。10年にならないかもしれないけれど。私は1919年(生まれ)ですから、ちょうど第一次大戦の後ですね。

[田中]ええ。

[加藤]生まれたのがね。

[田中]僕は1956年という年なんですけれども。先生が新聞の夕刊でずっと連載なさっているエッセーというか随筆がありますよね。

[加藤]うん。

[田中]あれはもうかなり、10年近いんですか。

[加藤]そうですね。もう10年。

[田中]僕が大学の最後の時に初めて文章ってのを書いて、出たのがちょうど10年前、1981年なんですけどね。

[加藤]そうですか。あのね、私は外国で1960年ごろから、半々ぐらいなんですね。日本に居たり外国で暮らしてたりしてたんですが、日本に帰ってきてね感じることの1つは、いろんな人がね「世代」ということをしきりに言うんですね。で、むしろ違いがあると、つまり年齢が違うと話し合いが非常に難しいってなことを言ったり、あるいは「新人類」なんて言葉が出てきたりして、大変、「前の(世代の)人と違ってるんだ」と、若い人がね、ってことをしきりに言うわけですね。で、そういうことがどこの国でもあるけれども、日本で非常に強いと思うの。それから「世代」という言葉の意味が、元はだいたい、世代の違いって言うと親と子供でしょ?だから「世代」になるわけでしょ。だから5年違うとそれは「世代」とは言わないですね、伝統的な言葉では。

[田中]ええ。

[加藤]しかし5年違ってもね、まったく「世代が違うから全然話が通じない」とかね、そういうことを、大変、世代意識の強い社会だっていう感じを持つんですね。

[田中]そういうふうに括ることで安心・・・なんか、納得しようとしてる系統の人は多いですよね。

[加藤]そうですか。

[田中]いやつまり、「世代が違うからもう分かんない」とか。

[加藤]そう。あなたはどういうふうに感じますか?例えば、あなたと私だとまさに「世代」でかなりね、普通30年とかそのくらい違うと、そうすると単なる年齢の違いじゃなくて「世代」の違いっていうのを感じます?

[田中]んー、だから一般的に言う世代が違うから分かる分からない、という括り方っていうのは僕はあまり好きじゃないんですけれども。僕はちょうど京都大学浅田彰っていう人と同じ歳で、僕らと、僕らは今年35歳になるんですけれども、例えば20代前半ってのは考えが違うなと。

[加藤]うん。

[田中]いわゆる通常言う「団塊」と言われている40代半ば以降の人も「違うな」というのはありますね。

[加藤]うん。

[田中]だけどそれを単に「世代が違うから」って言って括っちゃうのはね、非常に大雑把だなと。

[加藤]ああそうですか。だけどその、違いを感じるのはどういう点でそういうことを感じられますか?

[田中]僕が文章を初めて大学生の最後の時に書いたっていうことにもなるんですけども、僕は上の(世代の)人たちが割合、なんていうのかな、政治的に元気な青春っていうか・・・。

[加藤]なるほど。

[田中]・・・をしてるのをテレビで放水車が水を講堂にかけるのを見ながら、僕は中学生ぐらいだったんですけれども、理想を貫き通すってのは大変なことなんだなってミルク飲みながら思ってたわけですね。

[加藤]うん。

[田中]そのうち、訊いてみたら本郷にある学校に籍がある学生の人は居なかったって、最後まで残ってなかったってのを聞いて「ほえー、アタマの良い人は要領が良いんだな」って思って(笑)。

[加藤]なるほど。

[田中]そうするとしばらく経ったらその人たちはみんな、東京の田園都市の沿線に住んでて銀行とか商社に・・・。日経新聞読みながら満員電車の中で、前に立ってる若いOLのコのシャンプーの匂いをクンクンかぎながら新聞を読んでるっていうのを聞いて、なんか不思議だなっていうのがあるんですよね。で、それは去年、僕や浅田氏が一緒に、わりかしいわゆる「キナ臭い」と言われるような動きに対して、なんらかの発言をしたってところにも通じると思うんだけれども、僕らはね、やっぱり本来の責任とか義務っていうのから離れたところで、そういう言葉から自由なところで言いたいことは言う時には言う、っていう感じだと思うんですね。で、もうちょっと、20代前半ってもうちょっと、なんて言うんでしょう、なんかヘンに日本に自信を持った動きがまた出てきてるような気はしますけどもね。

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[加藤]ああそうですか。

[田中]うん。

[加藤]だけど私はね、むしろ、なんて言うかな、スポーツじゃないんだけどもね、肉体的というか感覚的というか、そういうところでかなりの変化があったような気がするんですけれどね。例えば、殊にね着物なんかそんなこと感じないかもしれないけれども、音楽の趣味とかね、そういうものが今までの大部分の日本人、ある年齢以上の人は、少数の人がいわゆる西洋音楽ってね、古典的な音楽に関心があって、大部分の人は演歌でしょ?で、そういうものが変わってきたような気がするんですけどね。どうですか?

[田中]ただ、相変わらずいわゆるカラオケ屋というようなのは大盛況なわけですよね。

[加藤]うん。

[田中]ただ、確かにちょっと小綺麗なコーヒーハウスにいると横にいる若い人がこないだ見てきたオペラの話をしてるけど、でもその人たちも結構、僕はカラオケ屋にも行ってるような顔をしてるなと思って。なんか頑張ってファッションとしてオペラを見ると「カッコいい」みたいなね。

[加藤]うん。

[田中]・・・いうところがあって、元々のコアで、皮膚として元々自然に入っていけた人たちの数はそんなに大幅に増えてんのかな?っていうのは少し思いますけどね。

[加藤]なるほど。でもロック音楽とかそういうものは・・・。

[田中]まあもちろん、そういう系統のポピュラーなものはね急激な勢いで。でもそれはきっと日本の戦後が良い意味でも悪い意味でも「アメリカの影」っていうかアメリカの傘の下に居たからそうなってったのかなって思いますけれども。

[加藤]うん。で、それは演歌と両立してるわけ?同じ人が。

[田中]なんかカメレオンだと思うんですね。

[加藤]ああ・・・。

[田中]つまり若いコが会社でも、だって結構、こないだのクリスマスみたいな時には彼女と一緒に高いお金を使って過ごすのに、ホテル泊まったりいいご飯食べるのに、でも普段結構、会社の上司とも上手く呑み屋の付き合いも程々にやるし、なんかその場その場のカメレオンの色が上手になってるなっていう気が僕はするのね。

[加藤]ああそうですか。

[田中]だから、なんていうか結局、「縦文字」と「横文字」ってあると思うんですよ。

[加藤]うん。

[田中]勝手に僕が作ったんですけど、つまり「横文字」の感覚ってのは非常に、なんていうんでしょう、舶来的であったり目新しいっていうか。

[加藤]はい。

[田中]日本で多くの人に受け入れられるには外側は「横文字」の感覚なんだけど内側は「縦文字」の感覚、日本的な古来なものってのがないと駄目なんじゃないか?と思って。

[加藤]なるほどね。

[田中]例えば、サザンオールスターズなんていうようなグループが若いコに人気がありますけれども、メロディだけ聴いてみると、なんかニューオリンズの黒人がズンチャカやってるようなメロディで、歌詞カードも斜め読みすると田中康夫が書いた文章と同じくらい文法的に間違ったような文章で、これも舶来、「横文字」だと思うんだけれども中身はどういうことを歌っているかというと「俺たちはこんなにがんばってんのに、若い女のコはちっとも振り向いてくんないで困ったもんだ」って割合「縦文字」な部分があって、なんかこう、みんな、今日これをご覧になってる人も、テレビをきっとちゃぶ台じゃなくてみんな椅子に座ったりソファで座って見てらっしゃると思うんだけれど、でも精神的な意味でもちゃぶ台な感覚ってのはまだまだ根強いのかなって。

[加藤]なるほどね。

[田中]そんなに簡単になくなっちゃわない、いや、僕はそれを肯定してるんじゃなくて、なくなってないんじゃないかな?ってのが。

[加藤]そうですか。

[田中]うーん・・・。

[加藤]もう1つね、私が感じるのはね、私はそうですね、1950年代の初めに、戦争の後ですねヨーロッパに居たんですね。で、それ以来、外国に行くことが多くなったんですが、そうするとね時々、日本の人が来るでしょ?外国に住んでますとね、それでそういう人たちがいろんなね、接触するというか、あんまり接触しないけど、でも時々接触しますね。そうするとね、外国に出てきた日本人の態度が変わったような気がするんですよね。初めは極端に言うと戦争の後だったっていうこともあると思うんですが、いろんな学者の人も、学者じゃなくてもいろんな人が来るんですけど、大変に「構えてる」って感じなわけね。ある人は怖がるわけですね。言葉の問題なんかを別にしても怖がるわけですよ。で、ある人は非常に勇敢に1人でどっかに出て行く。その時は「打って出る」っ感じでね、ハチマキでもないけども、大変決意をしてね出るというんで、周り中の世界に対して、要するに違和感が非常に強かったと思うのね。1950年代はそうじゃないかと思うんです。で、それはもう、いろんな職業とか知識とか年齢に関係なくだいたいそういう傾向が大変強かったと思うんですね。そのうちに人数が増えたっていうことと、団体旅行やなんかがありますね、で、その他にね、1人とか2人くらいで旅行する人も出てきてね、なんとなく表情とか態度があんまり構えてないんですね。

[田中]それは若い年代とか。

[加藤]ええ。若い人が多いですね。で、そこに違いがあるような気がするんですよ。もっとこう、東京の延長っていうか、割りに気楽な感じがあるんですね。で、それで何をするか?って会社の人は買い物とかをするんでしょうが、お金があるからね今はね。何をするかは別として道を歩いているときの態度がね、割りに寛いでるっていうか当たり前な感じなんですね。で、そういう意味で外の社会に対する態度が変わってきてるんじゃないかなっていう気もするんですけどね、どうですか?

[田中]今は誰でも外貨持ち出しできるっていうか出すほうが良いって・・・(笑)。だから昔の人のそういう背負ってきたものっていうかね、精神的な意味でも・・・、はなくなってると思うんですね。たしかに普通のコがアルバイト1ヵ月すればすぐにツアーでパリでもロンドンでも行けるわけだから。だけど僕は若い人たち、もちろん、すごく自由に自分で行きたいから行くっていうふうにはなってると思うんだけれども、でも彼らが歩いているものが、自分の精神的な豊かさを消化するために歩いているかな?っていうとそうでもない。つまり、なんか日本でもいろんな路地を歩こう、外国の路地を歩こうみたいなね本はあるけれども、その情報を、情報ってのは必要で、そのマニュアルが必要なんだけれども、そのマニュアルを自分のマニュアルに作り変えないまま、そのままなぞっている人ってのは相変わらず圧倒的じゃないかなっていう気はするんですよ。

[加藤]うん。なるほど。

[田中]で、それがその昔、日本からやっとこさ出て、いろんな人も期待して出てきてくれて、「だからオレはがんばるんだ」ってのとは、「いやぁ(外国に)来たけどやっぱり分からないな」って言ってちょっとシュリンク(萎縮する しり込みする)してるのとは違う意味での無防備さっていうかね、僕、よく思うんですけど、香港に行くと香港島九龍半島の間に一杯電光板がありますよね。

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[加藤]ええ。

[田中]で、あれを見てみると8割以上日本の企業じゃないかと思うんですよ。

[加藤]うん。

[田中]で、あとの2割くらいはアメリカ系の企業と韓国系の企業っていうか・・・。あんまりヨーロッパの看板って見ないと思うんですね。で、僕はあれを見る度に日本人ってのは人と、例えば通りですれ違って目が合った時に、どういう表情をすれば相手にぶん殴られなかったり、あるいはどういう表情をすれば相手を逆に怯えさせれるかっていう練習って、きっと日本の中に住んでると誰もしないまま育ってるんじゃないかなっていうか。つまり、僕はべつに、特にヨーロッパが良いって無条件に言うんじゃなくて、きっとヨーロッパの人・企業がもう一回、一杯お金を持っても香港にあんなでっかい電光板は出さないんじゃないかなって。もっと違う形の宣伝の仕方ってのをするんじゃないのかなって。なんか日本て、丸の内とか大手町とか行っても、初めて用事があって行く会社でもでっかい看板が出てるからすぐ分かりますよね。なんか、パリとかも新しくできた超高層ビルの方はそういう看板が上の方に出てるかもしれないけれど、入り口まで行かないと表札がなくて分かんないみたいなね。で、そういうんじゃなく育ってきた日本人ってのは、そこがお金を持っちゃったし(海外に)出て行くとますます、で、自由に出れるようになった分、自分の生理に従って出ては行くかもしれないけれど、昔より逆に言うと却って悪くなっちゃってんのかな?っていう。

[加藤]うん。そうですか。そういうこともあるかもしれませんがね、どうしてかな?1つにはですね、少なくとも表面的にはね電話があるとか地下鉄があるとか、タクシーがあるとかですね、そういうふうな表面的な都会の生活が一応似てるんじゃないかな。

[田中]それはそうですね。

[加藤]欧米に関して言えば。それから道が舗装されてるとかですね、商店にある程度外国の商品がたくさん入っているし、だからそういうこともあって、つまり基本的に日常生活が根本的に違うんだって印象を与えないだろうと思うんですよね。で、1950年代ってのは、日本は戦後のあれがあったから(諸外国と比べて)生活程度の格差が非常に大きいからね。だからそういう意味の違いもあったし、それからもっと前のことを言えば、あれですな、明治の「偉い人たち」がね、夏目漱石とか森鴎外とかね、永井荷風の頃まではヨーロッパに留学なんて行くと、留学は学問芸術の話でしょ。だからそういう話に入る前にもっと非常に単純な、鉄道とかバスとか地下鉄とかですね、そういうものがまるで違うわけですね。で、あまりの違いが極端なもんだから別天地に来たって感じが非常に強くって、そういうことといくらか「構える」っていう態度とか近かったかもしれませんね。ところが今はもう少し、違いはあると思いますけれどもね、そういうことは無視して・・・。

[田中]もちろん、だからそういう意味でのシュリンクとかバイアスってのはなにもなくなってる・・・。

[加藤]なくなってきたですよね。

[田中]ただ、僕、よく思うんですけどね、今年のお正月もきっとハワイとか最近はオーストラリアとかね、一杯行く人がいますよね。そうすると僕はどうしてハワイとオーストラリアにばっかりリゾートって言って行くのかなってよく考えるんですけど、ヨーロッパ的なリゾートってのが片道同じ3時間か4時間のところにあっても、日本人はあまり行かないんじゃないかって。

[加藤]うん。

[田中]つまり、パリの街に行ってブランドものを買う時には、「日本にだって立派なデザイナーはいるし着物だってあるぞ」と思って行ってるし、じゃあ美術館に行く時も、「日本にだって浮世絵も日本画家もいるぞ」って言って、でも「おまえらの見てあげる」っていう気持ちでね、あまり怖気づかないで行ってる人が多いんじゃないかと思うの。だけど、なんでリゾートになるとハワイやオーストラリアに行くかってきっと、ハワイやオーストラリアに行ってもなんら劣等感を感じないで、海にベターって寝てられるんじゃないかって気がするんですね。

[加藤]なるほどね。

[田中]っていうのは、ハワイやオーストラリアの人はもちろん、日本が過去においてやったことを忘れてないと思うし、日本人は忘れちゃってる人かもしれないけれど・・・、でも彼らが自慢できるのってもしかしたらカメハメハ王とコアラと青い空と海しかないかもしれないわけですよね。日本の方が自分たちよりもうちょっと美味しいご飯もあるかもしれないし、季節も四季もあるかもしれないって思ってて。だから日本人が来てもお金も落としてるし優しくしてくれて、そこに行く日本の人たちは、沖縄に行くのと違って、確実にパスポートにはんこが1個増えてて、日本語も通じて街がきれいで治安が良くて海があって青い空があるから行ってる感じで、まあ、何がヨーロッパのリゾートか、ヨーロッパのリゾートもいろいろ・・・まあ、地中海クラブみたいなのもありますからね、地中海クラブみたいなのは自分で自分の時間を作れない人に、こういうリゾートの時間の使い方をするんですよって言ってる新しいユースホステルじゃないかって気が僕はするんですけど、そうじゃないようなところに入っていった時に、美術館やブティックに行った時はなんら劣等感を感じない日本人が、どうやって自分の時間を自分で作って良いか分かんなくて戸惑っちゃうんじゃないかって気がするのね。

[加藤]ヨーロッパ行った時ですか?

[田中]ヨーロッパの、例えばブティックや美術館じゃない場所へ行った場合に。

[加藤]ああなるほど。

[田中]だけどハワイやオーストラリアに行った時は、そういう劣等感を感じないで、デカイ顔をして振舞えるからみんな行っちゃってる気がするのね。だからそういう意味で言うと、もう1つ、精神的なところではなんかこう、むしろ逆に昔は人数が少なかった人が出て行った分だけよりも後退しているっていうか、あるいは停滞してるっていうか、・・・気が僕なんかはするんですけどね。

[加藤]そうですか。

[田中]もちろん、先生が仰る意味は分かるんだけれども・・・。だからなんか僕は昔から言ってるんです、ここ数年言ってるんですけど、やっぱり日本てバチェラーなカルチャーっていうかね、独身カルチャーっていうか、結婚してて籍は入っているんだけれど、「奥さん、亭主元気で留守がいい」って言ってて、子供の進学塾のお母さんたちと一緒にたまに月に1回くらい昼間フランス料理を食べに行って、2時半のラストオーダー過ぎても延々ネバって最後写真まで撮って、はとバスツアーみたいに帰っちゃうでしょ。旦那の方は平日はラーメンライスかけこんで、残業一生懸命して日曜日になると会社のお金でゴルフ行ってて、なんかそれぞれが夫婦っていう形態、家族っていう形態があるのに、それぞれがみんなバチェラーっていうかね、みんなホテル家族になっちゃってるでしょ。家はあるんだけれどみんなそれぞれの個室があって、子供も部屋に自分専用の電話があって、居間っていうロビーはあるけどみんなあとは「何する人ぞ」の部屋になっちゃってて。それがもっと昔よりもバチェラーな意識がもっと進行しちゃってる。

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[加藤]そりゃそうですね。

[田中]で、バチェラーなカルチャーが日本をここまで、5分でラーメンライスかけこんで「さあ残業やるぞ」ってのがここまで「豊かさ」ってのを与えてくれたと思うんだけど、それがきっと行き詰っちゃってるというか、つまり同時に80年代ってのは、なんか日本人ってのはお金があれば何をしても良いんだっていうか、あるいはなんでも買えるんだって思ってたと思うんだけれど、でもそうじゃなくてお金があっても買えないものやお金があっても今は買わないほうが良いかもしれないものがあるってのをね、なんか今、世界から突きつけられてるんじゃないかな?っていう。

[加藤]うん。あのね、まだねいろいろあるんですがね、若い人が、私たちが若かった時とは物質的な条件があまりに違うのでね、ちょっと比較することができないんですが。だから私はむしろ日本の若い人と外国の若い人と比較するとやはりね、まだ他にもちょっと目立つことがあると思うんで。1つは、これはね必ずしも実際はそうでもないかもしれないけれども、少なくともメディアに出てきた限りでね、テレヴィジョンとかそういうもんですね、で、そういうところで出てきてね、大変子供っぽい気がするんですがね、いくらかは学生さんなんかでもそうだけど、知的な水準とか知識の水準が違うと言ってるんじゃないんで、むしろ感情的な成熟度みたいなものね、感情的な。

[田中]はい。

[加藤]それから顔にもある程度出てるんですね。子供っぽい顔と大人の顔ってあるわけでしょ。で、それが大変子供っぽいような気がするんですがね。

[田中]・・・若い人が。

[加藤]若い人が。

[田中]それはそうだと。それはきっとそうだと思います。

[加藤]それは何故でしょうかね?どういう背景があるんですか?

[田中]僕はね、やっぱり日本の歴史教育に代表されるお勉強の・・・、さっき若いコが若者の雑誌に載ってるいろんなお店とかの情報を・・・って言うけれど、でも情報は見れば載ってるわけですよね。結局、僕の友達なんかでたまたまイギリスの学校で中学高校辺り過ごしたコって、歴史のことって意外と知らないけれど、でも自分が勉強したチューダー王朝の時代だったらレポート何枚も書いてるから、どうしてそうなったかってのを言えるわけでしょ。あとのことは、全体の流れをだいたい頭に入っていれば、年号とかなんとかなんて百科事典見りゃ・・・あるいは今、それこそパソコンを叩きゃ出てくるわけですよね。

[加藤]うん。

[田中]ところが日本ってそういったことがとても大事で教えてるわけでしょ。だから大学に入る時はみんなそういう情報はあるかもしれないけれど、大学入るとそういう歴史の情報は忘れちゃって、今度はもっと風俗の情報だけ覚えてってるから、さっき僕が自分の中で咀嚼できてないって言ったけれど、それはすごく大きいんじゃないかと。

[加藤]それはそうですね。だけどもう少しね、私の言うのは実際の年齢よりも少女的だっていうかね、あるいは子供らしいね、なんと言うか行動様式とか顔の表情とか、そういうものに大変強く感じるわけですね。

[田中]それは男性ですか?

[加藤]男性も女性もだけど、まあ両方ですけど殊に女性がそうかな。

[田中]うーん・・・。

[加藤]だからアメリカの例えば大学の学生が日本の学生よりも、同じような学校で必ずしもできるわけじゃないけれど、ただね、もっとずっと大人のような気がするんですよ、大学生が。まあヨーロッパでは尚更そうなんですけど。ただ、日本においてどうしてああいうふうに子供っぽいのかな?っていう気がするんだな。大変、感情的に未成熟的な感じがするわけね。

[田中]僕はむしろ、もちろんそうだと思います、で、それは日本全体が子供の国っていうか・・・。

[加藤]そういう感じがするね。

[田中]権利を言う場合には裏側に義務があるってのを分かってないっていうか、権利だけアメリカにも今まで、湾岸危機が起きるまで言ってきた人が多かった感じでしょ?で、若い子を見た場合には、僕は女性よりもむしろ男の子の方が幼稚な感じがするのね。で、これは僕はやっぱり精神的な母子相姦の男の子ってのが非常に多いんじゃないか?って気がするんですよ。

[加藤]なるほど。

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[田中]やっぱりお父さん・・・、バチェラーなカルチャーだからお父さん毎日外にいて、お母さん、昔は子供が5人も6人もいたけど今はせいぜい2人だから、愛情を集中してるし娘の方は自分と同じ生理だからこのぐらいの年齢になるとこういう体の変化や考え方の違いも出てくるときっと思うんじゃないかと思うんですね、年齢が違っても。だから距離をおいてくけど、息子にはなんか父親に向けられない気持ちが全部向いてる気がして。だからなんかこう、具体的な肉体的母子相姦じゃなくても、なんかこう、精神的な母子相姦って多いなって気がするの。それとやっぱり男の子ってのは例えば恋愛1つとっても女の子は彼とキスしても良いなと思う時、目をつぶってれば割合良いみたいなところがあるんだけれど(笑)、男の子が自分で実際に唇を近づけなきゃいけないでしょ?でも初めてする時って鼻が当たっちゃうかもしれないし、上手く唇と唇が合わさらないかもしれないって。でも失敗しないと次に成功はないんだけれど、失敗を極度に怖がるっていうかそれはやっぱり塾やお母さんが一緒についてお勉強を失敗しないようにずっとしてきてるのかなんか、単なる学習以外のところでね、特に男の子に見られると僕は見てるんですけどね。

[加藤]それは感じますね。ですからもう1つ、とにかく親と子供、子供が大きくなってきた時に関係が違いますね。

[田中]ええ。

[加藤]大学生、それから大学院っていうかな、そういうところで親が何から何まで世話をするっていうね。

[田中]結婚後もそうですよね。

[加藤]うん。それは日本社会の特徴ですね。

[田中]なんか僕はやっぱり日本てのは、よく僕らの周りで結婚した場合も子供ができちゃったとかね、あるいは子供はつくらないんですか?とかね、こういう言い方をするでしょ。

[加藤]ええ。

[田中]これはやっぱり非常に、子供が自分の個人の所有物って思ってる考え方で、これは僕はちょっと不遜じゃないかな?って思うんですね。

[加藤]ええ。

[田中]子供ってのは、別に僕は特定の神さまとかは全然信じませんし、オカルティックなことってのは大嫌いですけども、やっぱり地球の中で親の体を通してその子が生まれて、親の体を通したけれども、でもその親独自の所有物じゃないっていう考えがね、なんか少ないんじゃないかなって。

[加藤]そうね。うーん、だけどまあその問題は随分複雑だと思うのでね。

[田中]すいません・・・僕は「教養」が無いから・・・(笑)。

[加藤]戦前のですね、日本の中産階級の家庭では割合にね、その頃は男女差別が非常に強いですから娘と息子と違うと思うんだけれども、息子はですね独立の度合いが早かったんじゃないかな。だから早々長く何から何まで親の世話になることが実際にあってもね、それは望ましくないことで、今は当然でしょ?だから大学を出るまでは全ての経済的な面は親がみて、そして大学を卒業しても初めは月給が少ないから親がみるってことでいつまで続くか分からないですよ、親が息子を世話をするのがね。だけど戦前は少なかったんじゃないかと。それからあってもそれは望ましくないことじゃないかとね。つまり当然のことじゃなかったと思うんですね。戦前の日本はそういう意味では今のアメリカの中産階級と似てると思いますよ。アメリカで親が、殊に(アメリカの)学校は高いからね、大学は。一流の大学で私立大学は。だからそれはいわゆるアルバイトですね、とスカラーシップ奨学金)だけでいかない場合もあるんでね、だから親が金出してますけどね。しかしなるべく早く独立しようっていう気構えがあるわけですよ、学生の側に。それからいつまで経っても親の世話になってるっていうことは望ましくないという感じは非常に強いですね。で、日本では当然として受け取るでしょ、両方が。両方ってのは親も子供も。で、これはね、非常に大きな違いだと思いますね。で、その場合は日本とアメリカとの違いは、日本が特殊なんでアメリカが特殊じゃないですよ。

[田中]なるほど。

[加藤]つまり、ヨーロッパでも同じことですよ。

[田中]そう思います。

[加藤]英国でもフランスでも全然同じ。だから戦後に日本がね、戦前ともちょっと違ってきて、戦後変わったことの1つじゃないかな。親子関係の違いですね。それで無闇に親が子供の世話をするというのは戦後の日本の文化じゃないか。日本文化の特徴ではなくて。

[田中]なるほど。

[加藤]うん。

[田中]今の、特に例えば僕の同じ年くらいで子供がいるコがね、子供の服にやたらとお金を使って、で、子供の色の勉強のために原色の服をいろいろ着せなきゃいけないとか、尤もらしいことを言って子供の服をいっぱい買ってるけれど、あれみてるとやっぱりペット化だなっていう気がしますね。

[加藤]ああ、そりゃそうですよね。

[田中]で、そのペットの数も少ないから、ペットってのは絶対に自分を・・・動物が、みんな動物番組、まあNHKでもやったりしてんでしょうけども「かわいい、かわいい」ってのは、そりゃワニやライオンは人間を喰っちゃうかもしれないけれども、大部分は絶対に人間を追い越さないからみんなかわいいって言ってるわけでしょ。

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[加藤]うん。

[田中]だから子供も自分より背が高くなって、お金も稼いで家庭も持つようになって口答えする時になった時に、肉体的にもイーブンか親の方が衰えてるかもしれないし、言葉でも負けちゃうかもしれない時にはじめて親子の関係だと思うんだけれど、なんか未だにずっと子供もそりゃ恋愛は自由奔放、いろいろしてるかもしれないけれど結婚はみんな女の子も男の子も親に背かない程度の恋愛とか、背かない程度の会社選択とかしてて、子供の側もずっとペットで良いと思ってて親の側もずっとペット。

[加藤]うん。

[田中]・・・でいて欲しいって、なんか対等の会話じゃないだろうなっていう。

[加藤]だからどうしてそういうことが生じましたかね?戦後に起こったことだと思うですね。1つの理由はね、私が考えるのは、もっと昔に遡るっていう、明治以来の日本の社会はね、江戸時代からの遺産を持ってると思うのね。そしてその遺産のかなりの部分は、少なくとも都会の中産階級の風習に関する限りでは、かなり侍社会からの遺産でしょ。

[田中]そうですね。

[加藤]そうすると元服があるでしょ。あれ、15歳でしょ。

[田中]はい。

[加藤]で、15歳になると全責任ですよね。完全なる自由で、つまり子供じゃないっていうんで非常に鋭く(親子関係を)切っちゃうわけですね。だからそういう考えがつまり男、まあ男に限るんだけれども、そういうことは明治以後の日本の社会の中に少しあったと思いますね、続いてて。それが子供の独立性っていうものの背景だったんじゃないかと思うんですよ。ところがそれが儒教的というか、侍社会の作った一種の伝統みたいなものはいろんな意味で崩れてますよね。

[田中]ええ。

[加藤]で、戦後にはそれに変わるような強い束縛力のある親子関係について、束縛力のある価値観っていうかな、そういうもんが無くなったからじゃないでしょうか。

[田中]無いんでしょうね。

[加藤]うん。だから「ペット化」するっていうのもそういうことの1つの表れじゃないでしょうか。

[田中]それは同意見です。

[加藤]ところが、そういう意味ではねやはり断絶の面っていうか、日本の戦後社会が前からどういうふうに変わったのかっていうことから言えば、変わったことの1つじゃないのかしら。で、今言ったようなことは、非常に欠点があったから壊れたわけですけどね、だけど儒教的な価値が下敷きにあって、多分、それが非常に簡単に言えば、それに国家神道が加わって明治以後が来たわけでしょ。で、そういうものが両方が壊れるとね、後にそれに変わるような強い束縛力を持ってる価値体系ってのは生み出されていないので、それが戦後の日本の社会の1つの特徴なんじゃないかな?その点については随分強い断絶っていうか、変わり方をしているというふうにも言えるんじゃないかしら。

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[田中]だから子供は、デカルトじゃないけれど「子供は動物と同じで、だからディシプリン(鍛錬、修養)をして一人前の大人にしなきゃいけない」ってのがね、日本も儒教的精神かもしれないけれど昔はやってたんじゃないかと思うんですね。

[加藤]そうですね。

[田中]子供は、「子供は違う記号をしゃべる動物と同じような記号をしゃべってる奴」で、それが大人の記号がしゃべれるように教育してあげるっていう。それがなんか、戦後は子供も大人と同じ記号をしゃべってるんだと。しゃべってるって思って歩み寄ってあげていかなきゃいけないじゃないかっていう、ヘンな「民主主義」のディシプリンになっちゃった・・・。

[加藤]ああ、そうですね。「平等主義」ですね。

[田中]・・・のかな?っていう。

[加藤]子供は不完全なる大人っていう、あるいは動物と同じだってのはデカルトの考えでしょ。で、そういう考え方はヨーロッパは殊に、ヨーロッパ大陸は強かったと思うんですけどね。それも主として戦前だと思うけれども、ところが子供には子供自体の文化があるっていうことになってきて、それから殊にティーン・エイジャーってね、ティーン・エイジャーってことを言い出したのがアメリカでしょ?で、ティーン・エイジャーの文化ってのを20歳以上の大人の文化と区別していろんな(ことを)やると。で、これは1つにはそれが商業主義と結びつくから強化されたってこともありますけどね、だけどとにかくそういうことが出てきて、そういう教育学者やなんかでもそういうことを言う人が多くなってきて、それが戦後の日本に入ってきたっていう面もありますね、多分。だから仰るように、ある意味でティーン・エイジャーと親、つまり大人っていうか親と息子や娘とは平等になるわけね。だから、しかし本当は平等じゃないんだな。経済的には圧倒的な依存関係だから。だからそういう複雑な作用が作り出してきたものじゃないかね。だから「ペット主義」って言っても親がペットとして強制してるって言うよりも、仰るように子供の方もそれに乗るっていうかね。

[田中]そうそう。

[加藤]演じるという面があるんでしょうね。

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「註の新たな註」
「いまクリ」と「もとクリ」、その記憶の円盤が舞い続ける時空。

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「✽文庫本化に際しての、ひとつの新たな長い註。」でお約束した「註の新たな註」は、
両書に登場する「字句の解釈」に留まらず、
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