2016年08月08日 TOKYO MX モーニングCROSS 田中康夫 和して同ぜず 中上健次生誕70年 紀伊のDNA

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[堀潤]田中さんテーマの発表をお願いします。

[田中康夫]はい。「和して同ぜず」。中上健次さんていう作家がいたんです。私の事は常に「康夫ちゃん」と呼んでくれた人なんですけどもね、その方が今生きていたら70歳という事で、紀州の出身なので、そこで「熊野大学」というので、私も3日間行って来て浅田彰さんとか柄谷行人さんとか、あと斉藤環さんとか中森明夫さんも来たんですけど、ちょっとそこのお話をしたいと思います。

[堀]なかなか文化の香りが。

[宮瀬]はい。和歌山県新宮市出身の芥川賞作家、中上健次さんの生誕70年を記念したポスター展が、新宮市立図書館で今月14日まで開かれています。会場には中上さんの作品を原作とした『十九歳の地図』『軽蔑』『千年の愉楽』などの映画や演劇、また中上さんが創設した文化講座「熊野大学」などのポスター合わせて30点が展示されています。
[田中]この今出た「熊野大学」ってのは、彼が生前にですね熊野の地で始めようという事で、今回はこういうので丁度70年という事でこういう会が3日間。

[堀]この方が中上さんの、これお幾つぐらいの写真なんでしょう?

[田中]これはまだ若いですよね。戦後生まれとしては初めて芥川賞を取ったという人ですけど。紀州っていう場所がどういう場所かっていうと、名古屋から特急に乗っても3時間半以上掛かるという、新大阪からも3時間半掛かるという場所なんですよ。

[堀]関西空港がちょっと近いといえば近い。

[田中]いやいや、まあ南紀白浜空港からでも1時間半掛かるというね。

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[堀]そうですよね。

[田中]名古屋を朝10時に出て着くのが1時40分くらいという。途中に通る所が・・・これが紀勢本線というのが例の亀山、シャープが出てきた亀山からスタートして和歌山市まで行ってんだけど、でも途中に尾鷲というのは日本で最も雨量の多いという。でも山林王が多い。で熊野市までが三重県で丁度熊野川の境の所が新宮市というのがあって。

[堀]僕関西出身ですけど和歌山ってやっぱりちょっと遠いなっていう、三重とかは逆に近いという。

[田中]なるほど。

[堀]ええ。修学旅行などで行ってますし。

[田中]和歌山は今回、自由民主党の幹事長になった二階俊博さんの出身地でもあるけど、同時にこの新宮が中上さんの出身地で。同時に文化学院を後に作った西村伊作さんという、これも大変な山林王の息子で非常に開明的な人だったわけですよね。御茶ノ水にある・・・、というような場所です。で、何を行ったかというと、最初は中上さんの原作に触発された『溺れるナイフ』というジョージ朝倉さんていう方の漫画。これが映画化されたのでね、菅田将暉さんであったりジャニーズWEST重岡大毅さんが出たりしてるという映画の上映があって、その後私と浅田彰が25年間やってる『憂国呆談』の公開討論。翌日にあったのがですね、実は音楽監督巻上公一さんがやってやなぎみわさんという京都造形芸術大学の女性の教授の方が始めた『日輪の翼』というね、こういうすごいデカい大型トレーラーを・・・、台湾なんかだとこういうので音楽やったり政治の時も演説したりするんですけど、それを彼女が実際にやったこの『日輪の翼』という中上さんの原作をですね、新宮港という港の造成をした所でですね・・・。

[堀]トレーラーを持ってきてそこに舞台を作って。

[田中]そうなの。だからこれはね、これは台湾の時に撮ったものなんだけど。

[堀]この盛り上がりはすごいですね。

[田中]横浜でも既に行って今度大阪でもやると。

[堀]うわっ大きい。はーちゅうさんが見えなくなった(笑)。

[田中]こういう感じの・・・。

[堀]すごいですね。

[田中]これはもう、大変な最高傑作で、是非東京でも実現したいなと言っていたんですけど。

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[田中]この『日輪の翼』っていうのがどういう演劇かっていうとね、元々の原作は、中上さんはもう皆さんご存知のように彼は「路地」と呼んだんですが、所謂被差別部落、同和地区というのがやっぱり関西、まあ東京にもありますけども、そこの「路地」の人達が所謂同和対策法、同対法というので段々区画整理をされていく。立ち退き料を貰うかもしれない、同時に1974年に日本はご存知のように大店舗、大店法というのが出来たんですね。つまり大規模小売店舗法。それによって地域の商店街というものが無くなってってしまって郊外のショッピングセンターのようなものになってってしまった。その中で大型トレーラーにオババ達が、お婆さん達が字も読めなかったりもする、中学から集団就職で例えば紡績工場に働いたみたいな5人の人達を乗せて若い、ホントにモテたくてしょうがない青年達が伊勢に行き、そして一宮に行きそして諏訪に行き恐山に行き、最後は皇居がある東京にまで来るという話なの。その間にオババ達は段々亡くなってって、でもその少年達は本当に行きたいと思ってた東京に来たときには何か自分達の心にぽっかり穴が開いて目標が無くなっちゃったなっていう話なんです。これを大変な演劇として行った。この中上さんという人はどういう人かというとね、一つは湾岸戦争ってのがありました。湾岸戦争の時に私も一緒に参加して(「文学者の反戦声明」1991年)、その声明というのがね「私は日本国家が戦争に加担することに反対する。」って文章にしたんです。

声明1

 私は日本国家が戦争に加担することに反対します。

声明2

 戦後日本の憲法には、「戦争の放棄」という項目がある。それは、他国からの強制ではなく、日本人の自発的な選択として保持されてきた。それは、第二次世界大戦を『最終戦争』として闘った日本人の反省、とりわけアジア諸国に対する加害への反省に基づいている。のみならず、この項目には、二つの世界大戦を経た西洋人自身の祈念が書き 込まれているとわれわれは信じる。世界史の大きな転換期を迎えた今、われわれは現行憲法の理念こそが最も普遍的、かつラディカルであると信じる。われわれは、直接的で あれ間接的であれ、日本が戦争に加担することを望まない。われわれは、「戦争の放棄」の上で日本があらゆる国際的貢献をなすべきであると考える。

 われわれは、日本が湾岸戦争および今後ありうべき一切の戦争に加担することに反対する。

 

『「文学者」の討論集会』アッピール(一九九一年二月九日)

 2は発起人16人が名を連ね、1はその16人を含む43人が署名している。

柄谷行人中上健次島田雅彦田中康夫高橋源一郎川村湊津島佑子いとうせいこう、青野聰、石川好、岩井克人鈴木貞美立松和平、ジェラルディン・ハーコート、松本侑子、森詠

 初期の段階では渡部直己がいたのだが途中で脱退した。

井口時男岳真也、小林広一、笹倉明鈴木隆之、山崎行太郎、朝倉めぐみ、岡聡、落合美砂、尾花ゆきみ、笠井雅洋、風元正、ルイス・クック、桑田義秀、佐々木勉、白石嘉治、新町和宏、高瀬幸途、西田裕一、根本恒夫、野谷文昭、橋本俊彦、松本小四郎、丸山哲郎、山田賢治、山村武善、義江邦夫

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090703

[田中]今までの声明って必ず「われわれは」っつってんだけど、「われわれ」って一体誰なのか所在が明らかじゃない。広島も「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」って言うけど誰が誰に対して言ってるのかという主語が無いという中において、やっぱりものを書く人達ってみんな自分がすごいと思ってるわけですよ。他の人の名前でもし出したら今まで批判してた批評家が褒めるかもしれないとかになっていく。だから「われわれ」じゃなくてみんな酒場では喧嘩してる人がこの一点においては一緒の気持ちだよと。

[堀]みんないるんだけど一人称としての。

[田中]だから「われわれ」っていうのはほら、なんかスローガンでエイエイオーって感じだけど。

[堀]運動体のね。

浅田 8月の頭に、和歌山県新宮市の「熊野大学」で中上健次の没後20年を記念した夏期特別セミナーが開かれて、講師として呼ばれて行ったんだけど、柄谷行人をはじめとする文学者のほか、『千年の愉楽』を映画化した若松孝二高良健吾も来て、なかなか面白かった。中上が生きてたら66歳なんで、原発問題についても活発に発言してただろうね。県でいえば三重県だけど、熊野灘の漁師たちは芦浜原発計画を中止に追い込んだこともあるわけだし。

田中 中上と言えば、湾岸戦争のときに「私は日本国家が戦争に加担することに反対します」という反戦声明を一緒に出したのを思い出すよ。
当初は「我々は」で始まる文案だったんだけど、それでは今までの運動と同じじゃないかと僕が申し上げて、中上も同意してくれて「私は」になった。誰が誰に対して述べているのかわからない原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と同じで、主語というか意志や責任の所在が明らかじゃないんだ、「我々は」というスローガンは。そもそも物書きは、自分が一番だと思う恍惚と不安で生きているんだから、酒場で喧嘩するのと一緒で、意見がまとまるのは至難の業。でも、ある一点ではユナイテッド・インディヴィジュアルズすることができるなら、「私は」を主語にしようと提案した。

ソトコト連載 憂国呆談 2012年10月号

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http:// http://www.nippon-dream.com/?p=10272

http://www.sotokoto.net/jp/talk/index.php?id=57

[田中]なんかその中に自分はどこにいるのか分からないじゃないですか。それを「ユナイテッド・インディヴィジュアルズ」って言ったんです、中上さんは。それまでの学園紛争ってのは「連帯を求めて・孤立を恐れず」っつって結局内ゲバになってたわけです。

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[堀]そうですね。

[田中]でもそうじゃなくて一人一人「自律を求めて・連携を拒まず」という事こそがこれからの新しいムーブメントじゃないかと。

[堀]確かに沖縄の、つい一昨日沖縄のヘリパット問題で揺れる高江に行ったんですけどね、そこで反対運動をしているテントに安倍昭江さんがいらっしゃって、でもそれを先導してきたと言われている三宅洋平さんがある種批判もされて。で、まあこれ、左翼同士の内ゲバだななんていう風にまた揶揄する人もいて、運動体のあり方を少し見直さないといけないかもしれないですね。

[田中]そうですね。あと、その(湾岸)戦争の時にわれわれはこれがアメリカの一国主義だけが続かないとか言ってたんだけど、中上さんだけは「見えない戦争」だって言ったんですよ。つまり第一次世界大戦第二次大戦ってのは多くの人が亡くなったし、イギリスでもオックスフォードやケンブリッジを出た人の4割とか亡くなってんのに今やアメリカの、本当にアリゾナにある所からコーラ飲みながらボタンを押すとそれでミサイルが・・・。

[堀]ドローンでね。

[田中]現場に行ってしまうみたいなね。つまり「見えない戦争」って事をいち早く彼は言ったという点においても、僕はやっぱりものを書く人間の優れた人ってのは想像力があると。だからその意味で言うと紀州という所はあんな急峻だけども、まさに二階さんも含めて「和して同ぜず」、冒頭に書いたけども、みんなと和すんだけれども、でも自分を見失わない。これはやっぱり紀州のDNAだなって事を改めて感じて帰って来た3日でした。

[堀]一人称を大事にしましょう。

[田中]うん。

[堀]ありがとうございます。 

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「註の新たな註」
「いまクリ」と「もとクリ」、その記憶の円盤が舞い続ける時空。

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