1999年6月12日 NHK ETVカルチャースペシャル 「オンリー・イエスタデイ80年代 <こころ>はどこへ行ったのか」 出演 浅田彰 田中康夫
1980年10月 アナタハ何ヲ シテイマシタカ?
[田中康夫] 1980年の10月は、僕は丁度『なんとなく、クリスタル』ってのを新人賞に応募して『文藝賞』っての取ったんですね。
それが10月の17日とかだと思います。ただ、私は応募した後、一次選考二次選考の結果も雑誌見てなかったんで・・・。というのは当時付き合っていた女の子に見せたら、彼女は妙に小説が好きだった人なんで「これはもう、ストラクチャーとして間違っている」と言われて、「しまっておきなさい」と言われて、「いや、もう応募しちゃった」って言ってですね・・・。
六本木へ遊びに行く時には、
クレージュのスカートかパンタロンに、
ラネロッシのスポーツ・シャツ
といった組み合せ。
ディスコ・パーティーがあるのなら、
やはりサン・ローランかディオールの
ワンピース。
輸入レコードを買うのなら、
青山のパイド・パイパー・ハウスがいい。
『なんとなく、クリスタル』より
例えばその日、自分が雑誌だったりテレビで良い意味ではなく話題になっていたりする日も、あるいは良い意味で話題になった日も、いつも同じように受け入れてくれる。それは、駅前の自分が行きつけの居酒屋でいつも受け入れてくれる、というのとある種似たところはあるんでしょうね。
僕は、何故’80年に『なんとなく、クリスタル』を書いたか?
まぁ、大学留年したからってせいもあるけれども、今までの日本の小説であったり他の表現形態の中に、あの手の若者を書いたものが無かったと思っていたんですね。ある文芸評論家の言葉を借りると「頭のカラッポなマネキン人形が、ブランド物一杯下げて青山通りを歩いているようなもんだ」と言ったわけです。
でも、僕がそこで思ったのは、満員電車に乗ってる女の子が、自分のお給料で貯めて新しく買ったひとつのフランス製かイタリア製の鞄を持って嬉しいなと思う気持ちと、例えば研究者が、あるいは本好きな人が、非常に難解な記号論の本を読んで、一冊読了して「記号というものが分かった!」と思って喜ぶ、「少しお利口んなったな」と思う気持ちは、これは同じ人間が感じる感情な訳です。
で、同じ人間が感じているという点においては、これは優劣の差は無いわけです。元々、日本の批評とかっていうのはブランド、つまり物質的なモノを知る事と、本を読んで知る事はハナから違うディメンションだっつってた。僕はそうじゃないと。すべて人間の価値ってのは等価であって、価値がそういう、何が価値なのか分からない紊乱なものになっている、その意味で言うと、その人が何を着てるのか、どんな店にいってるのか、どんな友人がいるのか、そういう、外の浮遊しているものによってしか生身の人間が規定し得ない時代、それを書こうと思ったんですね。
それは、むしろ、80年代の消費社会は軽薄短小だって苦々しく言っていた人達の方が、むしろその事に気がついて居なかったじゃないかという気がする。むしろ消費社会にまみれていると言われた人達の方が、そのモノを、あるいはそのひとつのご飯を食べた時、好きな人と居る時の、その一瞬の喜びは永遠には続かなくて、でも、だからこそその自分が、自分である事が分かりにくい、アイデンティティの持てない社会だからこそ、この美味しい味、このあたしの好きな洋服、あたしの好きな人っていう事に行ったんじゃないかなっていう気はしますね。
[田中康夫]こんにちは。
[浅田彰]あぁ、いらっしゃい。
[田中]遅くなって。失礼します。
[浅田]どうぞどうぞ。 こうやって京都で会うとまたね、ゆっくりしますね。ちょっと時間が止まったみたいで。田中さんの『なんとなく、クリスタル』っていうのは、あれは?
[田中]あれは81年ですね、本が出たのは1月ですね。書いたのは80年の4月ですね。
[浅田]僕の『構造と力』ってのが83年。だからもう、ほんと20年近い・・・。でもなんかほんの昨日のような感じもするし、すごい昔のような感じもするし。不思議だね。
[田中]我々の場所とか、我々の理念とかスタンスは変わんないけど、ステージ自体がずーっと移動しちゃったから、我々はなんか端の方に・・・。特に僕の場合は、消費社会の申し子のように云われていたんだけども、気がついたら一番、消費社会とは対極の、端っ側にいるような気がしますけど。僕がヴォランティアといっても、そらぁ僕は神戸という街は何回か行った事があるし、好きだった街だし。
[浅田]無量広大なガールフレンドが居るって言われてますよ。
[田中]付き合ってたコが・・・いやいや(笑)。だから、すごく僕にとっては近い距離だった。でも、神戸の地震が遠い人も、もしかして日本海、行った事なくても海が大好きな人ならば、重油が漏れたときは近い距離だしね、それぞれ自分が関心のある事をする。
[田中]それともうひとつは、なんていうのかな、一時期、僕や浅田さんが対談の場で、むしろモダンてのをもう一回日本は構築しないといけないんじゃないか、それは別にポストモダンの敗北でもポストモダンを否定することでもなんでもなくて、やっぱり精神の相克、インディビジュアルな中でお互い分かり合えないからこそ分かり合おうとする努力に喜びもあるし、というところのモダンをもう一回作んなきゃいけないんじゃないかってとこあったと思うんですね。
[浅田]そうそう。
[田中]精神のモダン、作られないまま物質のモダンだけ、石づくりの建物だけ来ちゃって。
[浅田]モダンな時代、つまり近代というのはとにかく「大きな物語」というのがあってね、社会全体がそれに引っ張られてた、と。で、例えば、「技術の進歩」とか、「経済の成長」とかね。あるいはまた、「社会の革命と人間の解放」とか。そういう事でどんどん社会全体が成長していく、進歩していくっていう。で、またそうなきゃいけないんで全身全霊それに捧げるっていうね。ま、そういう「大きな物語」の支配っていうのがあった訳じゃないですか。60年代、特に後者、つまり割りとラディカルな「大きな物語」というのが左翼とか新左翼というような形で出てきて。で、爆発して。だけど日本の場合、72年の浅間山荘事件ぐらいでね、非常に悲劇的な格好で自閉する訳じゃないですか。そうするとね、なんとなく60年代がそういう「大きな物語」の最後の熱狂というかね、高揚の時代だったとして、70年代は「挫折の時代」ですよね。だけど、その後、よくも悪くもバブルに繋がるような景気の上昇もあって、ある程度の余裕に支えられて、転換の時代というかね、転換の可能性の時代というか、そういうものとして80年代はあったと思うんですよ。そうするとね、別にそんな「大きな物語」っていうのは無くていいと。
[浅田]それぞれ、しかし、自分の場所で色んな矛盾に直面してるんでね。で、それぞれの「小さな物語」があると。そういう色んな「小さな物語」が色々散乱しつつ、でも交錯すると。本ばっかり読んでる人とデザイナーズ・ブランドに夢中の人が出会うっていうのが面白いって事だったんだけども、なんか80年代から90年代にかけては、それがもう一回タコツボ的に自閉していったっていうのかな。つまり、すごくマニアックに本だけ読んでる人もいる、すごくマニアックに一部の例えばヘアデザインならヘアデザインに夢中になってる人がいると。それがポツポツとタコツボみたいにあってそれぞれがネットワークされてないっていうね。
[田中]生意気な言い方をすると、例えば、僕の『なんとなく、クリスタル』や僕達が生きてきたのは、ただそれが気持ちよかったりそれが好きだから取り入れたんで、それを取り入れるという事になんらかのものすごく意味があったり、さっき言ったように、考えてから行動する訳ではない、考えないで行動してたわけでもないんです。見ないで取捨選択してた訳ではないんです。全て全部一緒にやって、そこになんらの意味も無いんだと。でも明らかにその本見に行ったり、展覧会行ったりあるいは、このバッグを買うって事には意味は後からついてくる。
[浅田]ちょっと上の世代がね、ある意味で大きな物語を担うという事で所謂アイデンティティね、つまり自分の同一性っていうものをなんとか築こうとしてて。そうするとその大きな物語が頓挫するとアイデンティティにも傷がついてさ、挫折と幻滅という事になる訳じゃないですか。で、それが60年代から70年代への転換だったという気がするんですよ。で、僕達は幸か不幸かその時まだ子供であって、その後で既に相対主義化された世の中に出て来た訳ですよね。だから別になんかこう、アイデンティティを作らなきゃいけない、とも思わないし。で、今まであったアイデンティティが無くなってすごく幻滅したとかね傷ついたとかいう事もないと。可能性の中心においてはね、まぁ云わばなんていうんだろう、豊かに開かれた空虚っていうのってつまり、自分は空虚なのかもしれないんだけども、その都度のいろんなモノとの出会いによってね、一瞬一瞬それがクリスタルなんだけども色んな色に染め上げられて、また透明に戻るっていう風な、それで全体として儚いといえば儚いけれど、その事の中になんか一瞬生きてる事の喜びがある、みたいな、そういう感覚っていうのがありましたよね。
[田中]分かり合えないからこそ分かり合う、っていうところの分かり合えないってところが昔「人間は分かり合えるものだ!」って言ってたのが青春ドラマですよね。努力すれば全部出来るんだと。努力しても出来ない事もあるから、努力する喜びや新しい方法論を見つけるんであって、そこの大本が曖昧できた国が80年代があったんだけど、今大本が、なんでしょうね。曖昧だった事も分からないまま、もっと80年代を否定しなきゃいけないみたいになってきちゃってる。で、だからその意味でいうと、非常に、僕なんかには居心地の悪い社会。でも、ただあまり僕は悲観的にも見ていなくて、例えば神戸という所で、神戸の空港というのがあまりに不思議じゃないかと言う人達がいる、と。一個思うのは、推進派と言われるような企業の人達が多く勤めているような神戸駅という駅前で署名を集めると、三、四人歩いてくるスーツ姿のサラリーマンの人がこっちをチラっと見るけどそのまま行っちゃうんですね。ところが郊外の、東灘区や北区とかいうところの最寄の駅でも夜遅くまで集めてると、同じ会社のバッジをつけた人が、独りになったときには署名をしていく。それは僕は非常にタコツボでみんな追われちゃってるように見えるけども、個人になったときというのは意外と自分の生理や自分が思ってる良識を出せるんだなと。
一緒にいた女性の事なんていうのは、今でも思い出したりされますか?
[田中]しますよ、そりゃ。男の、またジェンダーだって怒られるかも・・・。男の人って意外とそういうところは、むしろ情念的なとこがあんじゃないの?例えばほら、付き合っていた女の子と嫌ってわけじゃなく、なんとなく別れちゃったのに、ある時なんか思い出して涙が出てきちゃって、そのコが昔住んでた家の辺りまで夜独りでドライブに行っちゃうとか、そういうのってあるでしょ?僕の友達なんかでも、離婚したあとにやっぱりその、もう、別れたくて離婚したのに泣いちゃったり、昔住んでた家んところ行ってマンションの壁触っちゃうとかってあるよね。人間ってそういう、ホントに不可解な動物なんですよねきっと。
『なんとなく、クリスタル』
交差点のところにある地下鉄の出口から、
品のいい女の人が出てくるのが見えた。
シャネルの白いワンピースを、
その人は着ているみたいだった。
横断歩道ですれ違うと、
かすかにゲランの香水のかおりがした。
三十二、三歳の素敵な奥様、
という感じだった。
<あと十年たったら、
私はどうなっているんだろう>
下り坂の表参道を走りながら考えた。