1999年6月12日 NHK ETVカルチャースペシャル 「オンリー・イエスタデイ80年代 <こころ>はどこへ行ったのか」 出演 浅田彰 田中康夫

 

 

 

1980年10月 アナタハ何ヲ シテイマシタカ?

 

 

 

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[田中康夫] 1980年の10月は、僕は丁度『なんとなく、クリスタル』ってのを新人賞に応募して『文藝賞』っての取ったんですね。

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それが10月の17日とかだと思います。ただ、私は応募した後、一次選考二次選考の結果も雑誌見てなかったんで・・・。というのは当時付き合っていた女の子に見せたら、彼女は妙に小説が好きだった人なんで「これはもう、ストラクチャーとして間違っている」と言われて、「しまっておきなさい」と言われて、「いや、もう応募しちゃった」って言ってですね・・・。

 

六本木へ遊びに行く時には、

クレージュのスカートかパンタロンに、

ラネロッシのスポーツ・シャツ

といった組み合せ。

ディスコ・パーティーがあるのなら、

やはりサン・ローランかディオールの

ワンピース。

輸入レコードを買うのなら、

青山のパイド・パイパー・ハウスがいい。

  

『なんとなく、クリスタル』より

 

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例えばその日、自分が雑誌だったりテレビで良い意味ではなく話題になっていたりする日も、あるいは良い意味で話題になった日も、いつも同じように受け入れてくれる。それは、駅前の自分が行きつけの居酒屋でいつも受け入れてくれる、というのとある種似たところはあるんでしょうね。

 

 

僕は、何故’80年に『なんとなく、クリスタル』を書いたか?

 

 

まぁ、大学留年したからってせいもあるけれども、今までの日本の小説であったり他の表現形態の中に、あの手の若者を書いたものが無かったと思っていたんですね。ある文芸評論家の言葉を借りると「頭のカラッポなマネキン人形が、ブランド物一杯下げて青山通りを歩いているようなもんだ」と言ったわけです。

でも、僕がそこで思ったのは、満員電車に乗ってる女の子が、自分のお給料で貯めて新しく買ったひとつのフランス製かイタリア製の鞄を持って嬉しいなと思う気持ちと、例えば研究者が、あるいは本好きな人が、非常に難解な記号論の本を読んで、一冊読了して「記号というものが分かった!」と思って喜ぶ、「少しお利口んなったな」と思う気持ちは、これは同じ人間が感じる感情な訳です。 

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で、同じ人間が感じているという点においては、これは優劣の差は無いわけです。元々、日本の批評とかっていうのはブランド、つまり物質的なモノを知る事と、本を読んで知る事はハナから違うディメンションだっつってた。僕はそうじゃないと。すべて人間の価値ってのは等価であって、価値がそういう、何が価値なのか分からない紊乱なものになっている、その意味で言うと、その人が何を着てるのか、どんな店にいってるのか、どんな友人がいるのか、そういう、外の浮遊しているものによってしか生身の人間が規定し得ない時代、それを書こうと思ったんですね。

それは、むしろ、80年代の消費社会は軽薄短小だって苦々しく言っていた人達の方が、むしろその事に気がついて居なかったじゃないかという気がする。むしろ消費社会にまみれていると言われた人達の方が、そのモノを、あるいはそのひとつのご飯を食べた時、好きな人と居る時の、その一瞬の喜びは永遠には続かなくて、でも、だからこそその自分が、自分である事が分かりにくい、アイデンティティの持てない社会だからこそ、この美味しい味、このあたしの好きな洋服、あたしの好きな人っていう事に行ったんじゃないかなっていう気はしますね。

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[田中康夫]こんにちは。

[浅田彰]あぁ、いらっしゃい。

[田中]遅くなって。失礼します。

[浅田]どうぞどうぞ。 こうやって京都で会うとまたね、ゆっくりしますね。ちょっと時間が止まったみたいで。田中さんの『なんとなく、クリスタル』っていうのは、あれは?

[田中]あれは81年ですね、本が出たのは1月ですね。書いたのは80年の4月ですね。

[浅田]僕の『構造と力』ってのが83年。だからもう、ほんと20年近い・・・。でもなんかほんの昨日のような感じもするし、すごい昔のような感じもするし。不思議だね。

[田中]我々の場所とか、我々の理念とかスタンスは変わんないけど、ステージ自体がずーっと移動しちゃったから、我々はなんか端の方に・・・。特に僕の場合は、消費社会の申し子のように云われていたんだけども、気がついたら一番、消費社会とは対極の、端っ側にいるような気がしますけど。僕がヴォランティアといっても、そらぁ僕は神戸という街は何回か行った事があるし、好きだった街だし。

[浅田]無量広大なガールフレンドが居るって言われてますよ。

[田中]付き合ってたコが・・・いやいや(笑)。だから、すごく僕にとっては近い距離だった。でも、神戸の地震が遠い人も、もしかして日本海、行った事なくても海が大好きな人ならば、重油が漏れたときは近い距離だしね、それぞれ自分が関心のある事をする。

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[田中]それともうひとつは、なんていうのかな、一時期、僕や浅田さんが対談の場で、むしろモダンてのをもう一回日本は構築しないといけないんじゃないか、それは別にポストモダンの敗北でもポストモダンを否定することでもなんでもなくて、やっぱり精神の相克、インディビジュアルな中でお互い分かり合えないからこそ分かり合おうとする努力に喜びもあるし、というところのモダンをもう一回作んなきゃいけないんじゃないかってとこあったと思うんですね。

[浅田]そうそう。

[田中]精神のモダン、作られないまま物質のモダンだけ、石づくりの建物だけ来ちゃって。

[浅田]モダンな時代、つまり近代というのはとにかく「大きな物語」というのがあってね、社会全体がそれに引っ張られてた、と。で、例えば、「技術の進歩」とか、「経済の成長」とかね。あるいはまた、「社会の革命と人間の解放」とか。そういう事でどんどん社会全体が成長していく、進歩していくっていう。で、またそうなきゃいけないんで全身全霊それに捧げるっていうね。ま、そういう「大きな物語」の支配っていうのがあった訳じゃないですか。60年代、特に後者、つまり割りとラディカルな「大きな物語」というのが左翼とか新左翼というような形で出てきて。で、爆発して。だけど日本の場合、72年の浅間山荘事件ぐらいでね、非常に悲劇的な格好で自閉する訳じゃないですか。そうするとね、なんとなく60年代がそういう「大きな物語」の最後の熱狂というかね、高揚の時代だったとして、70年代は「挫折の時代」ですよね。だけど、その後、よくも悪くもバブルに繋がるような景気の上昇もあって、ある程度の余裕に支えられて、転換の時代というかね、転換の可能性の時代というか、そういうものとして80年代はあったと思うんですよ。そうするとね、別にそんな「大きな物語」っていうのは無くていいと。

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[浅田]それぞれ、しかし、自分の場所で色んな矛盾に直面してるんでね。で、それぞれの「小さな物語」があると。そういう色んな「小さな物語」が色々散乱しつつ、でも交錯すると。本ばっかり読んでる人とデザイナーズ・ブランドに夢中の人が出会うっていうのが面白いって事だったんだけども、なんか80年代から90年代にかけては、それがもう一回タコツボ的に自閉していったっていうのかな。つまり、すごくマニアックに本だけ読んでる人もいる、すごくマニアックに一部の例えばヘアデザインならヘアデザインに夢中になってる人がいると。それがポツポツとタコツボみたいにあってそれぞれがネットワークされてないっていうね。

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[田中]生意気な言い方をすると、例えば、僕の『なんとなく、クリスタル』や僕達が生きてきたのは、ただそれが気持ちよかったりそれが好きだから取り入れたんで、それを取り入れるという事になんらかのものすごく意味があったり、さっき言ったように、考えてから行動する訳ではない、考えないで行動してたわけでもないんです。見ないで取捨選択してた訳ではないんです。全て全部一緒にやって、そこになんらの意味も無いんだと。でも明らかにその本見に行ったり、展覧会行ったりあるいは、このバッグを買うって事には意味は後からついてくる。

[浅田]ちょっと上の世代がね、ある意味で大きな物語を担うという事で所謂アイデンティティね、つまり自分の同一性っていうものをなんとか築こうとしてて。そうするとその大きな物語が頓挫するとアイデンティティにも傷がついてさ、挫折と幻滅という事になる訳じゃないですか。で、それが60年代から70年代への転換だったという気がするんですよ。で、僕達は幸か不幸かその時まだ子供であって、その後で既に相対主義化された世の中に出て来た訳ですよね。だから別になんかこう、アイデンティティを作らなきゃいけない、とも思わないし。で、今まであったアイデンティティが無くなってすごく幻滅したとかね傷ついたとかいう事もないと。可能性の中心においてはね、まぁ云わばなんていうんだろう、豊かに開かれた空虚っていうのってつまり、自分は空虚なのかもしれないんだけども、その都度のいろんなモノとの出会いによってね、一瞬一瞬それがクリスタルなんだけども色んな色に染め上げられて、また透明に戻るっていう風な、それで全体として儚いといえば儚いけれど、その事の中になんか一瞬生きてる事の喜びがある、みたいな、そういう感覚っていうのがありましたよね。

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 [田中]分かり合えないからこそ分かり合う、っていうところの分かり合えないってところが昔「人間は分かり合えるものだ!」って言ってたのが青春ドラマですよね。努力すれば全部出来るんだと。努力しても出来ない事もあるから、努力する喜びや新しい方法論を見つけるんであって、そこの大本が曖昧できた国が80年代があったんだけど、今大本が、なんでしょうね。曖昧だった事も分からないまま、もっと80年代を否定しなきゃいけないみたいになってきちゃってる。で、だからその意味でいうと、非常に、僕なんかには居心地の悪い社会。でも、ただあまり僕は悲観的にも見ていなくて、例えば神戸という所で、神戸の空港というのがあまりに不思議じゃないかと言う人達がいる、と。一個思うのは、推進派と言われるような企業の人達が多く勤めているような神戸駅という駅前で署名を集めると、三、四人歩いてくるスーツ姿のサラリーマンの人がこっちをチラっと見るけどそのまま行っちゃうんですね。ところが郊外の、東灘区や北区とかいうところの最寄の駅でも夜遅くまで集めてると、同じ会社のバッジをつけた人が、独りになったときには署名をしていく。それは僕は非常にタコツボでみんな追われちゃってるように見えるけども、個人になったときというのは意外と自分の生理や自分が思ってる良識を出せるんだなと。

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一緒にいた女性の事なんていうのは、今でも思い出したりされますか?

 

[田中]しますよ、そりゃ。男の、またジェンダーだって怒られるかも・・・。男の人って意外とそういうところは、むしろ情念的なとこがあんじゃないの?例えばほら、付き合っていた女の子と嫌ってわけじゃなく、なんとなく別れちゃったのに、ある時なんか思い出して涙が出てきちゃって、そのコが昔住んでた家の辺りまで夜独りでドライブに行っちゃうとか、そういうのってあるでしょ?僕の友達なんかでも、離婚したあとにやっぱりその、もう、別れたくて離婚したのに泣いちゃったり、昔住んでた家んところ行ってマンションの壁触っちゃうとかってあるよね。人間ってそういう、ホントに不可解な動物なんですよねきっと。


『なんとなく、クリスタル』

  

交差点のところにある地下鉄の出口から、

品のいい女の人が出てくるのが見えた。

シャネルの白いワンピースを、

その人は着ているみたいだった。

横断歩道ですれ違うと、

かすかにゲランの香水のかおりがした。

三十二、三歳の素敵な奥様、

という感じだった。

<あと十年たったら、

私はどうなっているんだろう>

下り坂の表参道を走りながら考えた。

 

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「註の新たな註」 「いまクリ」と「もとクリ」、その記憶の円盤が舞い続ける時空。

ようこそ現在から1980年の東京、そして日本へ❣「✽文庫本化に際しての、ひとつの新たな長い註。」でお約束した「註の新たな註」は、両書に登場する「字句の解釈」に留まらず、高度消費社会の幕開けから現在に至る時代背景を、関連する僕の拙稿等も紹介しながら絵解きしていくサイトです。

Amazonの田中康夫公式著者ページは以下のバナーからアクセスできます。ぜひご利用下さい!

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2011年4月23日 BS11『田中康夫のにっぽんサイコー!ニッポン再興へのシーズSeeds』復興のための田中康夫ビジョン

[田中康夫]お待たせをいたしました。『田中康夫のにっぽんサイコー!ニッポン再興へのSeeds』の時間がやってまいりました。この収録は2011年4月21日の木曜日の午後に行っております。おそらく、この番組がBS11で放送されてる時はですね私は岩手、宮城の被災地を訪れ、翌日の南相馬市へ入る為にですね福島市の宿泊場所へと向かってる最中なのではないかという風に思います。地震・雷・火事・親父という言葉がありましたけれども、親父の権威は全く失墜をして久しいわけですけれども、今回は地震だけでなく、そして、津波と放射能と原発という問題であります。大震災というとこれは地震に伴う、まあいわゆる火事であったり、という感じなので東日本大震災というものは津波というものをですねきちんと私たちの歴史に留めるべきなのではないか?ということを、先日もこの番組に出演を頂いた気仙沼が選挙区である小野寺五典さんとの番組の中でもお話をしたのではないかという風に思います。

◎動画BS11「田中康夫のにっぽんサイコー!」ニッポン再興へのシーズ」
「平成の“棄民”を見捨てるな 南相馬からの報告
Guest桜井勝延・南相馬市長 2011年3月26日

◎「週刊SPA!」連載「その『物語』、の物語。」アジアンランチ
屋内退避を命じられたまま物資が入らず、“棄民状態”の福島県南相馬市で炊き出し

◎「週刊SPA!」連載「その『物語』、の物語。」相馬ステーションホテル
職業と住居を得てこそ、被災した人々は意欲を抱くことができる

 寺田寅彦という人がいるわけでして、この人は「災害は忘れた頃にやってくる」という事を述べてるわけですが、同時に彼は、当時は日本には軍隊というものがあったんですが、陸軍海軍というものだけでなく、こうした災害に備えた組織というものを設けるべきなのではないかという事を述べております。これは非常に大変な慧眼でして、ある意味では私がかねてから日本がですね一旦緩急ある時にですねサンダーバード隊のようなものをですね組織をして真っ先に被災地へと飛んでいくと。その事が日本の実質的な良い意味での人の為のハードパワーとしてのソフトパワーだという事を述べたかと思います。しかし私も、このようなですね大災害、まさに開闢(かいびゃく)以来の大災害というようなものに対しての備えをどうするのかという事に関してはですね、サンダーバード隊という事を述べてきただけでもあります。

 実は『神戸震災日記』というのを16年前の地震の1年後1996年に出して、文庫本は1997年に出ました。今回、復刊という事で新潮文庫から出ているのですが、改めて読んでみますと今回私や新党日本が、あるいは多くのですね(衆議院で)会派を組んでる民進党の下地幹郎氏と共に行った事というものは全てこの本の中に原点があるのだなという気が致しております。しかし、今回の震災というものは皆さんご存じのように大変な広大な範囲であります。ただいま売っている週刊文春の冒頭のモノクロのグラビアを何頁かですね、不肖・宮嶋と自らを呼ぶ宮嶋茂樹カメラマンが書いています。この宮嶋氏はですね写真だけでなく文章を書いていて、この文書はなかなか読ませると言ったら非常に失礼な言い方で、大変に私は深い感銘を受けました。

 彼はどういう事を述べてるかというと、自分は今まで色んな場所の、飢餓の場所であったり戦場であったりですね、災害地であったりを見てきたと。しかしそれもある意味では多くの死体というものも遺体も見てきたと。しかし今回の東日本大震災程の地獄の黙示録というものを見たことは無いと述べてるんですね。そしてその中では、例えば戦争で家族が亡くなっても、ある意味ではそれは憎しみの対象というものは敵国であったりすると。しかしこの自然災害に関しては憎しみの対象が無い、そこが更なる地獄の黙示録の絶望なのだという事を述べています。本来その事はですね今はこういう時期だから政府の批判をするななどというのではなくて、これは建設的な提言というものは常に批判精神に則ってなくてはならないと私は思います。私の発言に対しても様々な事をおっしゃる方がいますが、でもそれは受け止めた上で、でもじゃああなたは何ができるのか?何を考えているのか?何を発言するのか?という事ではないかと思います。この宮嶋カメラマンは同時にですね35日間被災地に入っていたと、私はこれは仕事だと言い切るのではなく多くの新聞社やテレビ局のクルーはですね、ある意味ではサラリーマンとしてスケジュールがあってですね長期間入らないという形で居る。しかし35日間自分の車、時にはお湯も出ないラブホテルに泊まったという事でありますが、35日間ですね東京に戻らず彼が見てきた事というのは大変な事であろうと思います。そして彼がそこで述べている事はですね、ファインダーの中に写っているもの、自分よりもすごい素晴らしいカメラマン、写真家であったとしても、あるいはどんなに巨匠と呼ばれるような文豪であったとしてもこの惨劇というものをですね描き切ることはできないんじゃないのか?という事を彼は述べているんですね。これは私もとても痛感するところであります。翻ると寺田寅彦氏が述べたですね、こうした事にきちんと国は整備をしていくという事がおそらく当初に私が3日間24時間NHKのラジオ第二でですねライフライン放送を各県ごとに行うべきじゃないか、あるいは自衛隊のヘリから低空飛行で2軒でも3軒でも家が残っているそこに人影が見えなくてもそこに毛布と水と食べ物とそして手巻き式のラジオというのがあります、これは電池が無くてもラジオが聞こえるわけで、つい先日まで気仙沼をはじめとする多くの地域は停電をしていたわけですから、まさにテレビは見えないテレビは被災地以外の人の為にあるわけでして、その意味においてはそうしたラジオを入れた袋をですね梱包して低空飛行で落としていく、しかしこの事は法律上、自衛隊のヘリは着陸をするものだというですね奇妙な論理の下でできなかったわけです。

 私が会派を組んでいる国民新党の亀井静香という人が、私はこれはなかなか慧眼だなと思ったのは「新しい方程式を作らねばならない」と言ってるわけですね。それは何かというと与謝野馨さんは財務省が作ったような方程式の演算はとても得意である、という事です。しかし作った方程式はいつの間にかにですね財政規律を正すなどと言いながらですね1000兆円の借金になってしまっているわけですから、その方程式は時代に、あるいは少子高齢社会の中でそぐわない、20年後には日本の人口が9000万になる中でそぐわないかもしれないわけです。ですから政治主導というのは別にですね唯我独尊の上から目線なのではなくて、新しい方程式を作るような政治家であったり財界人であったりですね、あるいは文化人であったりこうしたものが求められるという事なのではないか?という気が私はしています。そしてその新しい方程式を残念ながらまだ今日本は示せていないという事ではないでしょうか。

 今週同じく発売中の週刊SPAで通常の連載「週刊SPA!」連載「その『物語』、の物語。」と合わせてですね 「復興のための田中康夫ビジョン」というカラーで4ページの特集を組ませていただきました。

 この中で私は提言1 老壮青「救国内閣」で真の日本再興を!と、提言2 復興増税なんて日本破滅への道!と提言3 公益事業省を創設し東電を吸収せよ!と、そして提言4 日銀直接引受国債を100兆円発行せよ!と、提言5 新都市建設と集落再生の両立を!と、また、提言6 新エネルギー産業振興で地域密着型雇用の創出を!と、提言7 支度支援金=BI(ベーシック・インカム)をひとり10万円即時支給!、提言8 無利子融資で飲食店、中小企業を護れ!、提言9 地域分散型のコミュニティ再生を目指せ!というですねこの9つの提言というものをしております。提言にしては随分と具体的すぎないか?もっと壮大なものをとおっしゃる方も居ますが、一個申し上げればこの無利子融資で飲食店、中小企業を護れというのは5年間返済を免除してですね無利子の融資をするという事がそれぞれの方の為になる、そしてもう一点加えてですね支度支援金、これはベーシック・インカムをひとり10万円即日即時給付という事を書きました。これはどういうことかというとですね小野寺さんとの時にも話があったと思います、小野寺さんも今、例えばですね網があれば魚を獲る事ができると、槍があればアワビを獲れると、残った小さなモーターボートに船外機を付けてそれで出ていく事ができると、あるいは夏からのワカメの養殖に向けて竹竿と網というものをですねロープと浮きを用意すればできるんだという事を述べました。同時に彼はその時に確か、保冷車というものそれからそして保冷庫というものが全部津波に飲まれてしまったので折角魚を獲ってもそれを東京をはじめとする市場に持っていけないという事を述べていました。おそらく今までのニッポンの政治というのは、じゃあ保冷庫を作りましょう!というとこから始まっていくんですね。でこれは小さなハコモノ行政ですし、あるいは組合というような既存の、えてして今までのピラミッドを構成をしていた人たちの部分のハードのインフラ整備です。しかし大事な事は一刻も早くひとりひとりが避難所からですね自立できるという精神を持つ事です。これは誤解を招かずお聞き頂きたいという風に述べて日刊ゲンダイの連載でも記しましたが、例えば山谷であったりあるいは大阪のあいりん地区、こうした所の木賃宿はですねおそらく一泊2000円ぐらいするわけですね。そうすると30日泊まれば6万円です。むしろ3万円で小さなアパートを借りた方が自立はできるわけです。しかしそのアパートを借りる為の保証人の問題だけでなくて先立つ敷金を払うというお金が無いという事です。とするならばまさにモノを起こす時にはイニシャル=初期投資というものが必要でありまして、ひとり10万円を即時差し上げていればそこで網を買う人も出てくる、家族5人と2人ではまさに規模が違います、5人家族で50万、大変な2月分の収入かもしれませんがそれで例えば2週間知り合いの居る山形のペンションに泊まろうという形で避難所から自分が自立していくという形ができます。

 ですから初期中期長期という事でいうと初期においては繰り返し申しているように衣食住で寒さを防ぐもの空腹を満たすものそして夜露をしのぐという衣食住であります。しかし続いて起きる事は衣食住は意欲を持つ為の職業であり住居なわけです。今回は家族も住居も職業も会社も職場も失ったという方が居るわけでして、しかしその時に先立つものがあればひとりひとり自立の精神でいける、じゃあ自立でアワビを獲ってきた人たちが居てじゃあその時に保冷車が無いね、じゃ保冷車のトラックを買おうというのは、私は逆にハードのインフラ整備が先なのではなくそうしたひとりひとりの、実はアワビを獲ってくる人たちは供給者かもしれませんがしかし、彼らは同時に口に食べ物を入れるひとりの生活者としての消費者なわけです。消費者の希望に根差した形で「コンシューマー・オリエンテッド」でなければ供給側の都合でいくら街づくりをしようとしてもダメです。ですから半年間にわたってひとり10万円ベーシック・インカムを被災地の方に差し上げるということは私はとても大事な事だという事を述べてきました。実は第一次補正予算というものを先日民主党の政調会長であり今は大臣でもありますが玄葉光一郎さんと話した時に「もっと早くやっときゃ良かったな」というような事を仰っていました。後悔先に立たずかもしれませんが同時にしかし原発の周囲の人たちに1家族100万円を差し上げると言ってるんですね。単身者には75万円と言ってます。あるいはお亡くなりになった方には250万、そして一家の家庭の主であった方々には500万差し上げると言っています。それを私は決して否定する事ではありません。しかしそうした形は逆に被災地の中に疑心暗鬼を招いてしまうのではないか?と思うんですね。住民票を被災地に置いたまま東京の学校に行っていた子供にも10万円あげるのか?というかもしれませんが、こうした時というのはですねまさに一律平等公平という日本赤十字社の義援金のようなですね遅々として進まないものなのではなくて、「出来ることを、出来るところで、出来るひとが、出来るときに、出来るだけやる」という事で言えばですね、そこに居る人に何かを、手助けをする事においては公平とか平等では無くて、公正かどうか?という観点で私は捉えるべきであろうという風に思ってます。

 でこのベーシック・インカムを今回のようなですね開闢以来の被災の中でですね導入をするという事はとても大事な事であったと思います。所帯に100万円という発想は結婚をしてないで暮らしている人も居るという、家庭や労働という環境が変化してくる中において相変わらずな発想なのではなかろうか。せっかくこども手当という悪評紛々ではありますが、個人というものに根差した形を行おうと言った人たちがですね、今回の支度支援金、これはまた語弊を招くかもしれませんが申し上げれば例えば、今閑古鳥が鳴いているであろうですね銀座を始めとする夜の街のホステスの方が新しい店に移る時にバンスというものがあるわけですねアドバンスですね、つまりこれが支度支援金なわけです。今のお店が、ん~と思ってもこっちで支度支援金くれるからドレスも買ってマンションも替わって昔のオジ様とも綺麗さっぱり別れていくと、何をお前はこの被災の問題でこんな事を言ってるというかもしれませんが、ひとりひとりがやっぱりやる気を起こさせるという事がとても大事なわけであります。

 続いてですね被災地の問題で私は例えば仮設住宅というようなものも亀井静香と一緒にですね7万戸なんて言ってないでとにかく全部10万戸の単位にすべきだと、これはある意味ではやっぱり景気は空気でありまして、そして各自治体の積み上げ型というのはですね非常に問題があるんですね。「なんで7万戸なんですか?」という風に申し上げたら、被災をした人たちがですね、大体阪神淡路大震災の時に15パーセント仮設に入ったと。だから避難民の計算をすると7万でも多いくらいなんだというような計算をしてきたのでまさにこれこそ計画経済ノーメンクラトゥーラ(ソビエト連邦における指導者選出のための人事制度)であると述べました。阪神間の場合はですね大阪という場所もありそこに職もあったわけですが、三陸そして磐城常磐という場所はまったく形態が違うわけです。しかしこの場合に行政の発想でいうと数が足りないから100戸の単位で作んなきゃいけないと言います。しかし気仙沼からわずかトンネルで10分のですね、県は違いますけども岩手県の一関側の合併をした場所に入ればそこにはですね休耕田があるわけです。そこに5世帯10世帯で仮設を作っていくその方がむしろコミュニティは壊れないわけです。南三陸町から越えた同じ宮城県である登米(とめ)市という所も地震の翌日から電気が点いていたというような場所なわけでして、そうした場所にきめ細かく作っていく。しかしインフラあるいは兵站と言われるロジスティックスは国がきちんと用意をするという形でないと、地域主権と言ってですね自治体に丸投げという形ではダメです。
もう一点私が当初例えば北上高地や阿武隈高地やですね那須高原に新しい都市をという事を言いました。しかしこれは私が申し上げてるのは例えば、太陽光というもの太陽電池というものは70年代には日本は最も技術が進んでいて世界で最も小さな市場とはいえ市場占有率が高かったのに国策としなかった事によって今やドイツや中国の後塵を拝しているわけです。サンヨーやパナソニックやあるいはですねシャープの工場をそうした場所に県内2か所づつ誘致をする。そしてその事を首相がキチンと経団連会長と共にですね声明を出すと。で3年後にはできてこれによって雇用が何人増えるという形が大事な事であります。このような形の場所にはですね移り住む人もいるでしょうから、そこにブラジリアのような街を作っていくという事は既に今までも述べている通りです。しかし街には温もり、人間的なものが無ければブラジリアも首都という形で出来てしまったのでブラジリアの周りにはまさにスラムが出来上がってしまっているわけです。今回とても大事な事は私は例えば気仙沼のようなところ、イタリアでも例えばジェノバに行けばジェノバの街がありますれけど、高台の上に家があってあるいはナポリにおいてもですねエレベーターで上がったり、あるいはケーブルカーで上がったりする、こうした職住近接の街を作るという事が大事だと思います。大船渡市の市長が言っておりますけれども、堤防をまた20メートル30メートルのものを作るという事が復興では無い、復旧でもなければ復興でもないという事を言っております。つまり漁港というものは魚を獲る為に必要であります。あるいは気仙沼や南三陸町や女川町のような場所は私は家の上にバスが乗ってしまったトラックが乗ってしまったような場所はそこを国がですね従来よりも高い金額でも買い取ってですね、これを保全をする。ある意味では原爆ドームと同じですね歴史に目をつぶらない、そしてその横に津波の博物館を作るという形で光景というものを遺す。そしてその横には魚の市場を作る。私はこの事の方が世界からですね歴史を遺産として学ぶという形で史跡として残るという事であろうという風にも思っています。

 で、新エネルギーなんでございますけれども日本は火山大国ですから地熱発電であったりあるいは風力であったりとか、あるいは用水路の所でマイクロ水力発電を行うとか様々な方法があるわけですけれども、最近言われてるのがオーランチオキトリウムと呼ばれるですねあの藻なわけですね。これは筑波大学の研究者がですね確か昨年学会で発表しましたがこのオーランチオキトリウムというですね藻はですね非常に炭化水素を発生をする、そしてその藻は深さ1メートルの水槽でですね培養したとすると面積1ヘクタール当たり年間約1万トンの炭化水素を発生するので2万ヘクタールの培養面積で日本の年間石油消費量を賄える量であると言われております。

◎「3・11」後に初めて開催された2011年4月29日衆議院予算委員会
第一次補正予算(震災復興)に関するYa‘ssy質疑の中で「オーランチオキトリウム」を紹介

決して日本は石油から、脱化石に一挙にしましょう脱原発にしましょうという事ではなくて原発に関してはもう15年から20年で廃炉にしていくという事で廃炉も一つのですね皆が納得する公共事業のビジネスであります。そしてこのようなですね日本のやはりオンリーワン・ファーストワン、太陽電池もニッポンが最初に開発をしていったわけですからこのようなオーランチオキトリウムのようなものもですね用いていくという事が絵空事ではなく大事です。

 先ほど方程式という話をしました。過去の方程式を演算するのは得意な官僚や政治家や財界人ではこれは成功体験ならぬ縮小体験になっていってしまいます。あたらしい方程式を作る事がとても私は大事な事ではないかという風に思います。そして財源という言葉がよく出てきます。大変に不思議な事にですね増税で景気浮揚した国家は古今東西どこにも存在しないと述べていた私と同じような事をなんと竹中平蔵氏が最近述べるようになってきた、今増税なぞしたらニッポンは失速どころか融けてしまうという事を言っております。これはもう当たり前の話でして、皆さんご存じのように財源はどうする?って言いますけれども、じゃあ財務省が毎年30兆だか40兆だかですね発行している赤字国債というものが財源論として後ろめたくないんですか?問題無いんですか?って話です。ですからこの財源という言葉を使った途端にですねまさに財務省の掌の上に乗ってしまう、そして復興構想会議と呼ばれるですね五百旗頭真さんがその場で「私は復興増税があると思う」という風に彼が言ったんですがこれに関して福島県の三春町の僧侶であって作家の玄侑宗久さんがですね委員であって、ヴィデオをもう一回見たけれども「あくまでも私の個人の意見としては」と言って五百旗頭さんが言ってるのに、まるでそれが会議全体の総意であるかのように伝えられていくマスメディアは一体なんなんだろうか?という事を述べています。これは私は前から述べてる年間1000億円くらいは休眠口座、20年近く全く持ち主が現れないという銀行の口座があるわけですから、この1000億も立派な財源になるわけです。あるいは無利子非課税国債という形で無利子ではありますけれども非課税であるという事によって相続税の減免がされてると、その事によってタンスで眠っているお金が出てくる。皆も何かをしたいという風に思ってるわけですね。しかしそれはですね景気を失速させる税金の増税、それも限定で3年なぞと言いながら結局は恒久増税になるという事ではなくですね、無利子非課税国債あるいは日銀直接引き受けの国債100兆円という事を私が述べると「そんな無体な事ができるのか?」と言いますけれども、これはアメリカの米国債というものを日本は大体少なく見積もっても70兆円くらい持ってるわけですからこれを担保にすることができるわけです。米国債を私たちは決して売り渡してしまうわけではないわけですから、アメリカの機嫌を損ねる事でもなんでもありません。そしてこの事によって日銀が直接引き受けをすると政府はその国債に関して日銀に利息を払わねばなりませんが、しかしこの利息というものは日銀ですから日本銀行から日本政府に対して国庫納付金として戻ってくるわけですから、プラマイゼロという形になるわけでこれこそですねディリバティブ商品を売って金融工学と言ってですね荒稼ぎをしていたような金融業界の人たちがなんでこのような提案をしないんであろうか?という事が私はとても不思議でなりません。

 最後に公益事業省を創設して東電を吸収せよという事を述べました。今東京電力は自浄能力が無いので国有化しようなどという話が出てきてますが、この国有化という事を一足飛びにしてしまえばですね当然の如くこれは責任の所在という事が明らかになりません。東電がすぐに保養所を、すぐに社宅を開放しなかったのはけしからんと言ってる人たちが居ますが、ある意味ではこれに関してもですね国税を投入する事になります。ですから徹底したですね東京電力のですね再生という事を行う中で、私は公益事業省というのはこれはですね、航空であったり通信というのは良くも悪くも生煮えかもしれませんが競争があります。独占企業体である東京電力、ある意味ではJR東日本が当日ですね7時には駅の中に居た人たちまで全員追い出して私鉄であったり都営地下鉄であったりはですね、東京メトロは夜中に動き出したのに、そしてJR東日本の電力というものは信濃川水系の自前のダムから来ているというにも関わらずですねその日運航しなかったというのは、これはやっぱり親方日の丸の時と同じなわけです。でも国鉄もある意味ではですね国営鉄道の時にはですね皆マスメディアは叩きました。JRになったらキオスクがあって雑誌や新聞が売れないのでシーっと黙ってしまいました。東京電力は膨大なマスコミ対策費で広告を出してくれてるのでってシーっとしています。とするならばこれは結果的に国有化する方が国がやってる事はさすがに菅さんの事でも誰もが叩くわけです。森喜朗の時はもっと叩いたかもしれません。しかしある意味においてはですねこれを公益事業省というような形にするという事が大事であろうと思います。そして職住近接である事、(被災地からの避難の為に)埼玉や新潟で皆さん受け入れますと言ってもなかなか、あるいは赤坂プリンスホテルに行かないというのはやはり地域に根差していた人々というものはその場所に行っても、じゃあ自分の職も失っててどうなるんだろう?という事です。ですからきめ細かい隣接地に5軒でも10軒でも仮設を作る同時に先ほども言った職住近接の街を作る。そして新しい街を作るという事を国がきちんと指針として示さねばならないと思います。その事でいうと今週末にはあるいは放送の時には答えが出てるかもしれませんが、さまざまな、6つも本部があって20個も会議があるという形ではなくてですね、シンプルな形でですね洞察力と直観力、決断力と行動力、着想力がある形での政治のリーダーシップが今改めて求められている、その事を私は一か月以上経って改めて痛感をしています。

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