2014年12月22日~12月26日 J-WAVE 「Jam The World 小黒一三 LOHAS TALK」 ゲスト 田中康夫
「註の新たな註」
「いまクリ」と「もとクリ」、その記憶の円盤が舞い続ける時空。
ようこそ現在から1980年の東京、そして日本へ❣
「✽文庫本化に際しての、ひとつの新たな長い註。」でお約束した「註の新たな註」は、
両書に登場する「字句の解釈」に留まらず、
高度消費社会の幕開けから現在に至る時代背景を、
関連する僕の拙稿等も紹介しながら絵解きしていくサイトです。
(cut-in)
実際に読んで推薦文を、福岡伸一さんあるいはなかにし礼さんロバート・キャンベルさん、ね。絶賛だね。こそばゆいんじゃないの?だって「田中康夫」ってだいたい褒められたことあんまりないから、そうだよね、ね。「田中康夫、怯まず・屈せず・逃げず」で、誰がどう言おうと行くって人だったんで。
[ナレーション]雑誌『ソトコト』の統括編集長小黒一三がゲストを迎えて、その活動の中にあるロハスを探っていく「LOHAS TALK」。
[小黒一三]こんばんは。小黒一三です。今夜も楽しくお付き合い下さい。
[ナレーション]さて今週のゲストは作家 田中康夫さんです。新著『33年後のなんとなく、クリスタル』の話を中心にたっぷりと伺います。
[小黒]今週のゲストは、作家の田中康夫さんです。よろしくお願いします。
[田中]よろしくお願いします。
[小黒]田中さんいつも『ソトコト』の連載でお世話になってる、あれもう何年ぐらい続いとんかな?
[田中]あれは『憂国呆談』といって「呆談」ていうのが呆けてしまう呆談というの、25年なの。
[小黒]はぁ。
[田中]最初ね、文芸春秋の『CREA』っていうので始まって、で、編集長が替わって。
[小黒]それカワムラのとき?
[田中]いえ、創刊号。
[小黒]創刊号か。はあ。そっから始まったの?
[田中]創刊号で『CREA』で始まって、で編集長が替わると、「なんとなく、浅田彰と田中康夫」違うねぇ、て言われて、でから『Navi』にいって鈴木正文さんの。で、『Navi』も替わって、それから『GQ』がまだ今の読売系になる前の嶋中書店の頃で。それから『週刊ダイアモンド』に行って、そして今『ソトコト』に来てる。
[小黒]あぁ。
[田中]流浪の連載25年。
[小黒]六代目?
[田中]うん、四半世紀。
[小黒]嬉しいねぇ。
[田中]フッフッフ。いやいやとても有難い場を頂いて、恐縮ですが。
[小黒]この度田中さんの久しぶりの著書『33年後のなんとなく、クリスタル』が河出書房新社から発売になってるんですけど、えっとこれはいつ頃から連載してたんですか ?
[田中]これはね、えぇと去年の10月の、まぁ今『文藝』という雑誌が季刊なので、ここで5回連載したんですね。もともとその『文藝賞』で私は1980年に『なんとなく、クリスタル』を書いて出てきて、で、まぁ野間宏さんとか江藤淳さんが褒めてくれて、芥川賞の選考委員が、十年後に期待する、つってたんですけれども。
[小黒](笑)。
[田中]ま、小説はその後もいろいろな、『Hanako』だとかね、えぇ『ヴァンサンカン』とかね色んなところでもやってたんですけども、神戸の震災で50ccバイクでボランティアやったその翌年に『テント村の口紅』という短編を『小説新潮』で書いて以来なんで、まぁ殆ど唄を忘れたカナリヤならぬ、なんか言葉を忘れたカナリヤで、その間、ちょっとなんかほら、「山国」の方になんかねぇ。
[小黒]んん。
[田中]・・・来なさいって言われてダム作る作らねぇだの県議会の人とやってる六年があって、その後参議院議員と衆議院議員というのを、殆ど築地のヤッチャ場とまた違う永田町のヤッチャ場に居たりしたんで、なんか『文藝賞』五十回の時に、書きましょうよ、って言われたんですけど、とてもその頃はそういう感じが無くて、っといううちにまぁ短編じゃなくて長編を書こうか、みたいな。
[小黒]ここに、その本があるんですけど、随分綺麗な本で、ね。
[田中]えぇ。あのぉ。
[小黒]色も綺麗だし。
[田中]そうなんですよ。今どき帯とかモノトーンなんだけど、十人の人が。
[小黒]ね。
[田中]実際に読んで推薦文を。あの、福岡伸一さんという、『ソトコト』の。
[小黒]そうね。
[田中]うん。
[小黒]いやでも。
[田中]王者や。あるいはなかにし礼さん。
[小黒]ね。
[田中]ロバート・キャンベルさんね。
[小黒]絶賛だね、もうほんとに皆さん。こそばゆいんじゃないの?
[田中]だって「田中康夫」ってだいたい褒められたことあんまりないから。
[小黒]そ、そうだよね。
[田中]ね。「田中康夫、怯まず・屈せず・逃げず」で、こう、誰がどう言おうと行くって人だったんで。
[小黒]でも、田中さんが一橋大学在学中に発表した『なんとなく、クリスタル』はその後、その後つかあの時大ブームになって100万部。
[田中]はい。
[小黒]ね。大変な社会現象になったんですけど、今若い人って知ってんのかな?
[田中]去年、文庫の新装版が出ると親の世代が丁度50代で。
[小黒]あ、そうか。
[田中]その子供が20代で学生だったり就職で悩んでたりで、意外とそういう人からメールが来ますね。
[小黒]うん。
[田中]だから、表層的に、こんなご飯食べてないよ、とか、こんな服着てないよ、って捉えちゃう人では無い人達は、あ、同じことを考えたりしてるんだな親の世代も、っていう感じで読んで下さっていて。
[小黒]むしろ田中さんの、と同世代を過ごした人の子供。
[田中]うん。
[小黒]・・・の方が素直に分かってくれるんじゃないかね?キミの気分は。
[田中]そうですね。あの本が出る前にゲラを持って書店の人んところに行くと、三十くらいの人はまだ生まれたか、生まれないか、店次長とかやってて。
[小黒]うん。
[田中]だから読んでみたい、と仰ってくれたりするとちょっと嬉しいですけれど。
[小黒]これさ、ここにいまチラシってのかな、ポスターがあるんですけど『33年後のなんとなく、クリスタル』。
[田中]はい。
[小黒]「33年前、あなたは何をしてましたか?」でしかもその人達が「大学生だった彼女たちは、いま50代になった。」という。
[田中]うん。だから「33年前、あなたは何をしてましたか?」っていうと、僕ゼロ歳だった、生まれてない、あるいは二十歳だった、やはり「物語」ってそういう時間をそしてこの日本の変化、いまここも、その、東京タワーが見える超高層ビルでお話をしてんだけど、極論すると僕が大学生の頃、渋谷のハチ公前で待ち合わせをしました、三十分経っても相手が来ません、バックれられたのか・・・。
[小黒](笑)。
[田中]事故にあったのか分かんなかったわけでしょ?
[小黒]そうですね。
[田中]いまはみんな携帯で連絡取れる、でも夜中にLINEで届いたメールを中学生が未読のまま学校に行ったらそれでいじめられちゃう。
[小黒]うんうん。
[田中]便利になったのか束縛されてんのか、なんかみんながこの社会を捨てるわけじゃないし、巨大な流通資本主義の社会のなかで自分は、の生活はどうあるべきかな、ってことを考え直してるんだと思うんですよね。
[小黒]うん。
[田中]で、それは同時に、あの、実は『なんとなく、クリスタル』って後ろに註が付いてたわけですね。で、註が一杯付いてる、とだけ言われたんだけど、実はその一番後ろに前回の作品で付けた註だけはもう一回書いてんですけど、それは所謂日本の出生率、合計特殊出生率と高齢化率、の1980年の段階、そしてこれからの予測というのを、当時の厚生省が出したデータを載せてんですよ。で僕は、あれを書き終えて註を書いてるときに、なんか私たちのこの、良くも悪くも「豊か」な生活がそのまま続くのかな?続いてほしいけど、それは右肩上がりとか拡大とか、じゃ無い、その成長から成熟とか、変化をしていかないと立ち行かなくなるんじゃないかなって思ってたんですけどね。
[小黒]僕ね、前回というかあの当時・・・。
[田中]はい。
[小黒]「クリスタル」読んで・・・。
[田中]はい。
[小黒]この人口動静っていうのかな・・・。
[田中]はい。
[小黒]付いてたの全然覚えてないよね。
[田中]でしょ?
[小黒]ねぇ。絶対覚えてないよね。
[田中]フフ(笑)。
[小黒]で、一生懸命さ、よく知ってるなぁこいつ、みたいにして読んでてさ。
[田中]フッフッフ(笑)洋服だの食い物だの。
[小黒]そう。
[田中]音楽だの、みたいなね。
[小黒]それで「こんなとこ」飛ばしちゃってると思うよ、みんな。誰っれも気が付いてないんじゃない?
[田中]うん。
[小黒]ただ、まぁ今頃んなって気が付いてたとか、なんかみんな言ってる人とかいるけど...まぁそれは良いんじゃない?(笑)。
[田中]フッフッフ、うん(笑) でもね、この時の「数字」ですら・・・。
[小黒]うん。
[田中]僕にとっては衝撃だったんだけど。
[小黒]そうだよね。
[田中]この予測は遥かにいま見たら楽観的なわけ。
[小黒]そうだよね。
[田中]そして、その註、この前回の33年をまぁ、ロバート・キャンベルさんは「もとクリ」って言ってくれてんだけど、今回のは「いまクリ」っつてんですけど、「いまクリ」の註のまた一番最後には、その1980年、それから10年ごとの全然違っちゃった数字、そして今があって更に50年後100年後の高齢化率や出生率の表を付けてるんです。でも今日本の政府はこないだも閣議決定をしてね、これから日本は50年後も100年後も一億人を維持する、その為の発想の転換が必要だってんの。でも日本の出生率は1.41ですからね、一番EUで出生率が、ほら事実婚も認めているフランスですら2.01。病気や事故で亡くなる人もいますから、先進国は大体2.07って出生率で横ばいだと。逆立ちしても無理なのに、相変わらず大本営発表?
[小黒]うん。
[田中]で僕はそこで登場人物達が話してんのは、確かにイタリアやフランスにも貧しい方もいるかもしれないけど、まさにソトコトが言っているスローフードであったり、生き方を変えよう、そして人口規模は六千万人前後なわけですよ。それに私達は憧れるだけじゃなくて、学ぶことがあるのかもしれない。
[小黒]うんうん。
[田中]日本もそういう発想になってかないと、立ち行かないなっていう。
[小黒]うん。
[田中]・・・ことも考えて頂けたら嬉しいです。
[小黒]うん。
[小黒]まぁ田中さんは、政治は総合愛情サービス産業・・・。
[田中]そっそっそ。
[小黒]と仰ってた。
[田中]あ、当時ね。
[小黒]うん。
[田中]言ってたかもしれない。
[小黒]知事ってさ、僕、すごい向いてると思ったんだけど。
[田中]うん。
[小黒]御自分ではどう思いました?
[田中]あの、国会議員と首長って全然違いますよね。
[小黒]うん。
[田中]つまり大臣だって、失礼な言い方すると殆ど「一日警察署長」みたいなもんですよ。
[小黒]うん。
[田中]だって予算が全部決まってから、大臣に一年毎替わるってなってんだから。
[小黒]うんうん。
[田中]何も、人事と予算ていう最も組織運営で必要な事が出来ない。そういう意味じゃ首長は最も出来ますね。
[小黒]うん。
[田中]にもかかわらず、今、だって地方分権、っていいながら47都道府県のうちの75パーセントが官僚出身者なんですよ。
[小黒]ですよね。うん。
[田中]で、それを選んでいる、という構図もあるわけ。でも逆にこの方が「楽」なのね。
[小黒]うん。
[田中]地元の既得権の人達からすると、ピラミッドの上にそういう人がちょこんと載ってる方が新しい事やんないから。
[小黒]うん。
[田中]前例の無いことやらないから。
[小黒]うん。
[田中]安心してられて自分達の今までの既得権が守れる。
[小黒]うん。まぁ、田中さんの時ってあれでしょ?大赤字だった県の財政を大転換したんでしょ。
[田中]そうそう。これあの、私が「脱・記者クラブ宣言」ってのをしたから、あまり書かなかったんだけど当時長野冬季五輪の後だから、一日の利息の支払いだけで一億四千百万円あったわけ。であたしそんなの全く知らないし行政経験なんて何にも無かった、でこれはまぁ手前味噌ですけど、全国の都道府県で唯一六年連続借金を減らして、六年連続毎年の収支を黒字にして。
[小黒]すごいよね、それ。
[田中]で、その中で、私はだから、ダムなんか造るよりも木製ガードレールにするとか、川の浚渫する方が遥かに地元の土木建設業、青色吐息の人のボーナスだよ、って言って。
[小黒]うん。
[田中]なかなかあの、こういうのがまた逆に言うと、やりすぎ、って言う人がいたりしてね。
[小黒]あぁ。
[田中]うん。
[小黒]でもその後僕も例えば新潟の、最初は増田さんかな。
[田中]岩手の?
[小黒]岩手の。それから、いや『ソトコト』で今まで取材させてもらった人って。
[田中]あぁ。
[小黒]それとあと新潟の泉田さんとか、まぁなかなか面白い知事が出てきてますよね、今ね。
[田中]うん。ま、そうね。増田さんとかは、少子化になったからコンパクトシティにする、つってんの。
[小黒]うんうん。
[田中]でも、あれをなんで霞ヶ関の人が賛成してるかってったら、あれがまた新たなハコモノ行政だからですよ。
[小黒]あぁ、そうなんですか!
[田中]だから僕はずっと平成の大合併、というのに全国知事会でこんなことやったら意味が無い、骨粗しょう症になっちゃう、っつたのは僕とその後冤罪になってしまった福島県の前の前の知事だった佐藤栄佐久さん。
[小黒]佐藤栄佐久さん。会いましたね僕。
[田中]で、僕が知事になった2000年に日本の自治体は約3200あったんですよ市町村が。
[小黒]はいはい。
[田中]今1700ですよ。
[小黒]そうですよね。
[田中]半分になった。でもそれで税金減りましたか?サービス良くなりましたか?ただ単に支所があってますます無駄が増えてんですよ。
[小黒]うん。
[田中]で、フランスやイタリアというのは逆に小さな自治体が多い。フランスには36000も自治体がある、んですよ。カマンベールという誰もが知っているチーズの村、人口200人ですよ。で、フランスでパリの次に大きい町はマルセイユでそれは80万人ですよ。で、残りは殆ど数千人。ってことを言うとよく、そんな自治体がなんの権限もないんだ、とか。
[小黒](笑)。
[田中]違うの。そういった所はみんな連携をして、でもそれは日本の市町村だって合併してなくたってごみの処理とかは「一部事務組合」やっているわけです。
[小黒]うん。
[田中]合併するとまたハコモノが出来る、お金が動く、じゃ「コンパクトシティ」で山間の集落の人を町の中心に移したら、そこの山は荒れ川は荒れ、やっぱそれぞれの場所に人が住んでる、それは僕は福岡伸一氏にその話をしたら、そうだよ、って人間の体は60兆の細胞があるんだよって。東京や大阪が心臓じゃないと。全部の細胞が無手勝で動いてんじゃなくてネットワークのなかでそれぞれが細胞が生きていて、痛い、とか気持ち良い、って思うんだから、そういう集落が無くなっていったら、それは図体だけ大きな骨粗しょう症になっちゃう、と彼は教えてくれて。
[小黒]分かりやすいね。
[田中]うん。さすが福岡伸一。
[小黒]ね。
[小黒]あの、僕にとってはですね、まぁ別にスカイツリーが出来たわけじゃなくて、要するにまぁ、私は雑誌屋じゃないですか。だから今興味があんのは「下町」なんだけど、こう、田中康夫の視線のなかに全く下町が出てこないんだけど。
[田中]でも、その「場所」じゃないんと思うんですよ。
[小黒]はい。
[田中]その生き方とかその発想とか感覚だから、それは僕はずっと言ってるのは日本語って実は奥深いのにみんな地名もひらがなにしたりしてね、意味が分かんなくしてるけど「市場」っていう字は「しじょう」とも読めるし「いちば」とも読めるわけ。
[小黒]はい。
[田中]で、実は「いちば」ってのは一人暮らしのおばあちゃんが居たらそれが世田谷であったとしてもそこのスーパーであったって顔見知りだったら、じゃあ切り身小っちゃいの30円まけとくよ、ってのが「いちば」。ところが今だんだんだんだん「しじょう」になっちゃって、でも市場経済は自分の利益の「私情」ばっかり追い求めて、コンピューターに映ってる数字が全て、って言うけど、もしかしたらそれ打ち間違いてるかもしれないしバグがあるかもしれない、わけじゃないですか。
[小黒]うん。うん。
[田中]だから市場経済のなかで生きながらもわれわれは「いちば」を感じる。
[小黒]うん。
[田中]あの、今回も膨大な註が、まぁ今はほら地名とかwikipediaを引けば出てくるから、そう言うのでは無い註なんだけど、そこで僕は中内功さんと堤清二さんの話が出てくるですけどね、二人が期せずして言ってたのは、配給の社会になってしまうのは戦争の世紀なんだ、と。
[小黒]うん。
[田中]われわれは、流通という事によって戦争で無い平和の社会を維持するんだ、ってことを二人とも言ってたのね。
[小黒]はい。
[田中]で、その彼らが、欲しい人が欲しいときに欲しいものを欲しいところで欲しいだけ得られるような流通を作るんだ、って言った。でも二人が最後、いや、消費者が見えなくなってしまった、と言うのはもしかしたら消費者も一緒に、感謝とかじゃなくて嬉しいなと思いながら一緒に成長してきて欲しかったのに、未だにフランスのとあるブランドだったら2年待ちの鞄でも誰も文句言わないのに、一方でお店に行って、この本が無いというと、おいなんで無いんだなんでこの洋服ないんだ、て言ってしまう、堪え性の無い、でもそれが結果としてM&Aばっかりが目的の企業ばっかりになって選択肢が無い、流通の社会に居ながら半ば配給に近いような空気が覆われている、そのなかでこの33年を皆が反芻するというかね、ことをして頂ける切っ掛けになればなって。
[小黒]はい。
[田中]・・・書いた。
[小黒]この訳註もただの註じゃ無くて、こっちにこそ真実がある、と。
[田中]んー。
[小黒]高橋源一郎氏だっけ、褒めてたのは。マルクスだ、と、資本論だ、と、言ってましたよね?
[田中]って言ってましたよね。
[小黒]ね。
[田中]あの、だから僕は・・・。
[小黒]これはでも、田中康夫の「発明」ですか?この註に全て作家の本心があるっていうのは。
[田中]あぁ。
[小黒]書き切れないないんだな、多分な本文だけじゃ。
[田中]あのね、今回もだから、この間、まぁ政治とか行政って世界に迷いこんでいて、どうしても「論」になってくわけですよ。で、そりゃ演説の時にはみんなは分かりやすい「論」、まぁ決して単純な事僕言ってるとは思わないけど、やはりみんなを鼓舞する発言、でも「物語」とりわけ小説の場合には一回書いてこれが一年かけかったのは、どんどん削らないといけない、分かり易いということじゃなくて「論」になら無いようにしないといけない、という訓練はやっぱり物書きに戻っての一年のリハビリ期間が必要だったという。
[小黒]うん。うん。
[田中]気はしますね。
[小黒]うん。
[田中]ね、それでまぁ註はもう思う存分、でも理屈では無い、あのコブシを挙げて正義を語るような人達ってのは僕は昔から苦手。
[小黒]そうですね、はい。
[田中]だったから。
[小黒](笑)。
[田中]そうでない事を書かせて頂きたかったかな、と思ってますけどね。
[小黒]ま、それで最後に註を丁寧に読んだ人におまけまで付いてる・・・。
[田中]本文がグリコの一粒目のおまけで、あの二つ分目が註があって、そしてその、これ専用のホームページ更にその註から、かつてあたしがもっとこれを深く言ってる、とか、これはこの人のを読んだ方が良い、とかその映像とか、っていうのをホームページが「tanakayasuo.jp」ってのが出来ましてね、それがグリコの三つ目のおまけ(「ソフトオープン1月1日予定(汗)」)っていう。
[小黒]すごいね。
[田中]これはあの、リアルな本を手に取ると一個目の本文・註見ながらタブレットで見れんだけど、これあの最初からタブレットだけの世界に行ってしまうともう一台用意しないと三番目の註は読めないっていうね。
[小黒]うん。
[田中]やっぱり活字を大事にしましょ。
[小黒]うん。
[田中]っていう話なんですけど。
[小黒]いいですね。
[小黒]誰に一番読んで欲しいですかね?田中さんは。
[田中]それはあの、いやウチのトイプードルのロッタってのが登場して、ロッタが突如ここの本のカヴァーの帯でも「このお話はこれまでの、いまの、これからのニッポン”のニッポンのお話よ」って。で、「パパのウザいくらいの愛を一身に受けてあたしもちょっと出てくるの」って書いてあんですけど。
[小黒]あい。
[田中]ま「そのこと」を考える世代、とかで無く、その意味でいうとこれからのニッポンを考えていく人達に読んで頂けたらな・・・。
[小黒]僕はね、発見したのはウチは『ソトコト』だけじゃなくて『孫の力』って隔月で作ってるじゃないですか、田中康夫こそ『孫の力』に必要な書き手だっていうのを私は気が付きました。
[田中]あぁ、いや僕はあの雑誌からなんで声掛けて貰えないのかな、ってちょっぴり僻んでたんですけど(笑)。
[小黒]いえいえ、気が付いていないんでしょ現場が。いやぁあのぉこのラジオに出て頂く前に読んでて、あれぇこれ発見した、って思いましたね。
[田中]いやだから僕は知事の時に、長野県って南北に220キロもあって、全国四番目の広さで一番南の天龍村ていうもう高齢化率がもう5割のところ6割のところ、ではお茶も作ってるわけ。でその横に泰阜村という村があって松島貞治という村長で、ほんとに人口が千人くらい。でも彼はやっぱり望むならば原風景のなかで、もう他の遠いところの施設に入ったらそれだけで認知症が進んじゃう、と。原風景のなかで独居でも暮らしたい人に貧しい財政でもその人を独居で暮らせるような介護をするってことをやってる人で、私はこれは、やっぱこれだけはねあたしは山国で知事やらせて貰えなければこういう事は経験出来なかった。で、私はこの村に住民票を村長の部屋を一部屋お金を払って借りて、週に三日はそこから早朝六時に出て高速バスで県庁行くってのをやったんだ。
[小黒]あぁ。
[田中]で、そうでなきゃ視察じゃ分からない、って思ったんだけど県会議員の人や地元のメディア、なんだ、と。「田中ヤスオカ村」にしたくて泰阜村に移したんかぁ住民票 、って言われましたけどね。
[小黒](笑 )えぇ。
[田中]やっぱりそういう小さなコミュニティ、だから孫の力があることもそういうお年寄りの力やあるいは、働き世代の力があることだからね。
[小黒]うん。うん。
[田中]そういう骨粗しょう症にならないニッポンを、人口が減少しても造作の「造」じゃなくて創造の「創」で「創り上げていく」のが必要。
[小黒]うん。
[田中]だよね。
[小黒]うん。まぁ今日はなんか、僕には似合わず・・・。
[田中]んー?
[小黒]褒めてばっかいましたけど。
[田中]はっはっは。
[小黒]まぁ素直にこの本は売れて欲しいな、と思ったんで。
[田中]ありがとうございます。
[小黒]まぁあんまり照れずに頑張って下さい。
[田中]はい。
[小黒]来年の田中康夫は、この本が売れて、五年の節目だったんだっけ?
[田中]あの、いやそれはある人が言ったんだけど、1980年に、大学生の時に『なんとなく、クリスタル』で『文藝賞』を取ったんですね。で、’85年に今は無くなった
『朝日ジャーナル』というので『ファディッシュ考現学』というのを連載して、で、それまでの、なんか『ポパイ』で書いてる田中康夫じゃ無いものを書くんだ、て言われて、で’90年に湾岸戦争ってのがあってこの時に多くの人は「我々は戦争に反対!」とか言うけど僕は「私は日本国家が戦争に加担することに反対し、そして抗い続ける」で、’95年が神戸阪神淡路大震災があって、阪神間出身のスッチーと付き合うことが多かったんで、道良く知ってるから恩返ししなきゃ、つぅんで、で、乗ったこと無い50ccバイクで廻ったわけ、で、その後2000年に天下り官僚県政だった県、なんとかしようよ。
[小黒]ホントだね。
[田中]でまっ、ところが逆にどんどん変えて行くと「お怒り」になる方がいるんで、まぁ2005年はそれで丁度郵政選挙のときにじゃぁ国政を一緒にやろう、って言われて、じゃぁ知事をやりながらチェスの色を変える。
[小黒]うん。
[田中]なんか「似たようなこと」今やってねぇ、「西の方で」苦労してる人が居ますけどね。
[小黒]はっはっは。
[田中]それで2010年はまぁ、衆議院議員だったんですけどそれまで14年付き合っていた「W嬢」という人と結婚して、来年が2015年ですけど。
[小黒]ね。まぁでも・・・。
[田中]まぁ、それは『孫の力』で書かせてもらっても。
[小黒]はい。はい。
[田中]2015年の。
[小黒]かもしれないね。そっから始まるかもしれないね。
[田中]時代の大転換を。
[小黒]是非これからもお手伝い下さい。
[田中]とんでもない。
[小黒]今日はどうもありがとうございました。
[田中]ありがとうございます。
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